平成のスポーツの記憶③ 東京世界陸上 谷口浩美マラソンを制す

平成1991

1991年9月1日 防災の日と重なったこの日、第3回世界陸上競技選手権大会東京大会 男子マラソンがスタートしたのは午前6時。
それでも気温は26度。しかも湿度が73%という悪条件だった。
日本陸連科学部が「東京での開催は選手の生命にかかわりかねない」として、この種目だけ北海道での分離開催が提案されたこともあった。
懸念された通り、厳しい残暑との戦いとなった。

体力の消耗を避けるためか、どの選手もスピードを上げない。いや上げられないのか、ゆっくりしたペースで進んでいく。25キロを過ぎて強豪のメコネン(エチオピア)が棄権。
続いて31キロ付近で、日本のエース中山竹通がレースを止めた。

先頭グループから次々と脱落者が出る中、「暑さは気にならない」という谷口浩美は「我慢」と自分に言い聞かせていた。
早朝にもかかわらず、沿道には約5万3000人(警視庁調べ)が応援に駆けつけた。
日本人のマラソン好きは、東京五輪時も、世界陸上時も、そして今も変わらない。
声援が谷口を押す。
38キロの市ケ谷駅前の上り坂を、口をあけ、首を振りふり、必死の形相でスピードアップ。
4人の先頭集団から、谷口が抜け出した。
四ツ谷の交差点で右折した時、谷口が後ろを振り返ると、もう後続は小さくなっていた。

いつものように首を傾け、口を開いてゆがめた苦しみの形相が笑顔に変わる。
ゴール手前100メートル。悲鳴にも似た歓声がスタンドを包む中、谷口は両手を広げてガッツポーズ。
酷暑のレースに耐え抜いて日本選手として大会初の金メダルをつかんだ瞬間だった。

マラソン金メダルは、1936年ベルリン五輪で日本統治下の朝鮮出身の孫基禎氏が獲ったことはあるが、日本人としては女子を通しても五輪、世界陸上を通じて初の快挙だった。

当時、谷口はマラソン14戦で7勝目。その最高のタイトルは自己最低の2時間14分57秒という記録だった。

 ◆1991年 東京世界陸上 男子マラソン成績

 (1) 谷口浩美(日本)2時間14分57秒
 (2) サラ(ジブチ) 2時間15分26秒
 (3) スペンス(米) 2時間15分36秒

谷口は世界選手権金メダルでバルセロナ五輪代表に内定される。
しかし、バルセロナでは途中シューズを踏まれ転倒。それでも後半追い上げ8位入賞を果たした。
そのとき、誰に恨みをいうでもなく「こけちゃいました」
と笑顔で答えた谷口。彼の人柄を示すエピソードだった。
なおバルセロナ五輪では男子は森下公一が、女子では有森裕子が銀メダルを獲った。

マラソン選手にとって最も過酷だったのはどの五輪あるいは世界陸上だろうか。
マラソンはロード競技であり、トラック競技とは性格を少々異にしている。道路や環境の状況によって条件が違いすぎるためだ。
そのため、かつては競歩とともに世界新記録という言い方をせずに「世界最高記録」と言われた。

1983年に始まった世界陸上選手権の優勝タイムを合わせて比較してみると、優勝タイムの最も悪かったのは1968年メキシコ五輪の2時間20分台。
メキシコシティは海抜2240メートルの高地であり、空気抵抗が少ないため、陸上の短距離や跳躍で高記録が続出した。
一方、空気が薄いため長距離は苦しかったようだ。
エチオピアのマモーに続いて君原健二さんが2位に入ったが、タイムは2時間23分台。
マモーから3分以上離されていたことになる。
君原さんの走り方は首を振り、いかにも苦しそうに走るのだが、このときは一層苦しそうに見えた。

ついで注目は2つの東京のタイム。
1964年10月10日に開幕した東京五輪のマラソンは、すばらしい条件下で、アベベ・ビキラがローマ大会に続いて史上初の連覇を達成。世界記録のおまけもついた。
一方、1991年の東京世界陸上。
高地のメキシコを除いて、ここ40年間の五輪、世界陸上で最もタイムが悪い。
夏のマラソンとしては陸上史に残る過酷なレースである。

●世界陸上東京大会男子マラソン 1991年9月1日
スタート:午前6時
エントリー:60選手
完走:36選手、完走率60%
優勝:谷口浩美 記録:2:14:57
真夏のマラソンは過酷。
2020年の東京五輪は1991年よりもさらに暑い。
スタートは何時?完走できるのは何人?

日本で行われた灼熱のマラソンといえばもうひとつある。

●世界陸上大阪大会男子マラソン 2007年8月25日
スタート:午前7時
出場:87選手
完走:57選手、完走率66%
優勝:ルーク・キベト 2:15:59

 

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August 08, 2019

東京オリンピック 最長身はだれだ?

1964年の東京五輪で活躍した外国人選手というとアントン・ヘーシンク(オランダ・2010年没)を思い浮かべる方も多いだろう。
言わずと知れた柔道無差別級の金メダリストだが、身長は196cm。
体重は東京五輪時には120㎏だったようだが、身長は192㎝、196㎝、198㎝と諸説ある。
ヘーシンクに敗れた神永昭夫さん(1993年没)は179㎝102㎏。体格でも圧倒していた。

柔道は、東京五輪初めて採用され、現在では実施されていない無差別級で、金メダルを獲った選手だが、東京五輪の3年前、1961年の第3回世界柔道選手権で、日本人以外の選手として初めて優勝した選手でもある。
当時のヘーシンクの強さは抜きんでており、東京五輪でもヘーシンクには敵わないと関係者は感じていたようだ。
当時、柔道は東京大会に限って実施されることになっており、事実、1968年のメキシコ五輪では実施されていない。
ヘーシンクが東京で勝たなければ、1972年のミュンヘン五輪で再び柔道が正式種目になることはなかっただろうと言われている。
 
実は、東京五輪の日本選手団に身長がヘーシンクに匹敵する人物が二人いた。
一人はバスケットボールの小玉晃さん(当時20歳197cm)、もう一人が南将之さん(当時23歳196㎝2000年没)。
小玉が東京五輪の日本人最長身選手、南がメキシコ五輪の日本人最長身選手である。
以下東京五輪以降の日本人最長身選手を挙げてみた。
バルセロナ五輪に出場した大竹秀之208㎝が、史上最長身ということになる。

●日本選手団最長身選手
1964年 小玉晃 バスケットボール 197cm
1968年 南将之 バレーボール 196㎝
1972年 沼田宏文 バスケットボール 205cm
1976年 沼田宏文 バスケットボール 205cm
1980年 蒲生晴明 ハンドボール 192㎝(但し日本は不参加)
1984年 岩田稔 バレーボール 197㎝
1988年 蔭山弘道 バレーボール 200㎝
1992年 大竹秀之 バレーボール 208㎝
1996年 小川直哉 柔道 193㎝
2000年 篠原信一 柔道 190㎝
2004年 平山相太 サッカー 190㎝
2008年 齋藤信治・山村宏太 バレーボール 205cm
2012年 朝日健太郎 ビーチバレー 199cm
2016年 右代啓祐 陸上 196㎝

近年、中国・韓国に加え、イランとカタールが各球技に急速に強くなり、日本の団体球技の五輪出場が難しくなっていった。
そのため長身の日本人選手の五輪出場も少なくなっている。
2020年は地元開催ということで、バスケットボール男子が44年ぶりに五輪出場を果たす。
渡邊雄太 メンフィス・グリズリーズ 207㎝
八村塁 ワシントン・ウィザーズ 203㎝
ニック・ファジーカス 川崎ブレイブサンダース 210㎝
の3人の代表入りは間違いないだろうから、史上最長身選手が更新されそうだ。

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