選手団最長身は誰?(1)
Q.2000年シドニー五輪日本選手団の中で最長身だったのは誰でしょう。
答え 篠原信一選手
役員を含めればフローレンス・ダバディー氏
4年前のシドニー五輪のことを覚えておいでだろうか。
日本にとって、シドニー五輪は稀に見る団体球技の不調に終わった大会である。
出場権の獲得できた種目は野球、ソフトボール、男子サッカーの3種目のみ。
アトランタ大会の6種目の半分、室内球技は全滅であった。
韓国が9種目で五輪出場を果たしたのに対し、余りに少なかった。
バレー、バスケット、ハンドボールの選手がいなかったため日本選手団中、最長身は柔道100㌔超級で誤審に泣いた篠原信一選手の190㌢。
役員を含めればサッカートルシエ監督の通訳を務めていたフローレンス・ダバディー氏の190.5㌢であった。
この当時は、日本のスポーツを支えてきた企業スポーツが崩壊を始め、球技のチームを持っていた企業が続々と廃部、休部を決めていた時期でもある。
中国のIOC復帰(1979年)、ソウル五輪(1988年)を控えた韓国が急速に力を付け日本を追い越し、近年はイランやタイが日本を猛追している。
8日から女子バレーの最終予選が東京で始まり、初戦でイタリアに勝った日本女子の五輪出場はまず間違いないところだろう。
ちなみにイタリアは2002年世界選手権の優勝チーム、日本はなんと13位。
初のグループリーグ敗退であった。
よくも短期間でここまで盛り返したことか。
このままいくとアテネ五輪球技の出場権は7以上となり、1964年の東京大会(バレー男女、サッカー、バスケット、ハンドボール、水球、ホッケー *バレー以外当時は男子のみ)、96年アトランタ大会(サッカー男女、野球、ソフトボール、バスケット女子、バレー女子)の6種目をどうやら超えそうである。
ただ、健闘しているのは女子ばかりで、相変わらず男子球技は強化が進んでいない。
日本男子の競技力低下については、国の後押しのなさ、国民性、選手の育成環境の悪さなど理由は様々考えられるが、少子化の影響も大きいのではないだろうか。
幼児期から親が危ないこと、挑戦しようとする芽を摘む。
一人っ子も多く、学校も規模が小さくなり、おのずと競争力は低くなる。
そのため、五輪を目前にした大一番で浮き足出し、重圧に負け、点が取れない、守れない…。
アテネ大会の日本チームの最長身は大山加奈(女子バレー187㌢)になりかねないぞ!
The comments to this entry are closed.
Comments