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June 16, 2004

オリンピックの記憶(2) 体操ニッポン 5連覇

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▲モントリオール大会のマスコット ビーバーのアミク

Q.過去のオリンピックで日本が最も多く金メダルを獲得した競技は何でしょう。
1.体操
2.柔道
3.レスリング
4.ジャンプ

こたえ.1.体操

柔道で獲得した金メダルは、64年の東京五輪以降シドニー五輪までに23個。体操は56年メルボルン五輪から84年のロサンゼルス五輪までに27個。レスリングはヘルシンキ五輪からソウル五輪までに20個。ちなみに、ジャンプは72年1個、98年2個の合計3個である。

先月、アテネオリンピック日本代表メンバーが発表され、塚原直也はアトランタ大会から3大会連続の代表となった。一方、シドニー大会代表だった笠松昭宏は選ばれなかった。
塚原と笠松はともに2世選手。体操ファンにはどちらも懐かしい名前である。
日本男子体操は五輪で団体5連覇、世界選手権も含めて9連覇を達成している。

その晩期、1976年モントリオール大会、2年前の世界選手権で初の個人総合優勝を果たした笠松茂は盲腸炎を患い、欠場を余技なくされた。
日本の最大のライバルはソ連。4年後のモスクワ大会に備えて、10代の精鋭を抜擢、23歳のエースアンドリアノフを筆頭にディチャーチン、マルケロフなど体操史に残る選手が揃っていた。

当時、団体総合は規定演技、自由演技とも1カ国6人が演技をし、上位5人×6種目の合計で競われた。6種目とも得意な選手を揃える必要があったのである。
笠松の欠場で補欠だった五十嵐が加わるが、規定演技でソ連にリードされる。更に、ソ連を追い上げる自由演技の途中で藤本が膝の半月板を損傷、演技続行不可となる。
5人になった日本は、ひとつのミスも許されなくなった。
若いソ連は、金メダルの重圧で演技にミスが出始める一方、日本は極限状態の中、誰一人としてミスが出なかった。日ソの差は僅か、最終種目まで勝敗はわからなかった。
日本の最終種目は鉄棒、その最終演技者は塚原光男だった。
信じられないプレッシャーの中、塚原は演技を続け、最後は月面宙返りを決めた。得点が出る前に勝利を確信した日本の選手が泣きながら抱き合い雄たけびを上げた。

●モントリオールオリンピック体操男子団体
1.日本576.85 五十嵐 藤本 加藤 梶山 監物 塚原
2.ソ連576.45 Tikhonov, Kryssin, Ditiatin, Marchenko, Markelov, Andrianov
3.東ドイツ564.65

当時のNHK(ジャパンプール)の中継では、解説者がいないアナウンサーだけの中継が行なわれていた。塚原の鉄棒のフィニッシュに使った技はテレビ中継中では「新月面宙返り」と実況されているが、実際には「月面宙返り」だった。
おそらく、アナ氏は「新月面」をやると聞いていたのだろう。そしてあまりに劇的な逆転劇に興奮して「月面」であることに気が付かなかったものと思われる。翌日の新聞各紙もそのまま「新月面」として逆転劇が伝えられている。

4年後のモスクワ大会は、日本が不参加のままソ連が優勝。日本はその後、オリンピック、世界選手権ともに団体で金メダルを取ることはない。
加藤、笠松、監物、塚原は年齢が近く、いわゆる団塊の世代である。人数が多い分、少年期から厳しい競争を経験している。
同時期にピークを迎えていた男子バレーボールのビッグ3こと、森田、大古、横田も同年齢の団塊の世代である。
そして体操、バレーボールも傑出した彼らが引退すると、日本の競技力も見る見る落ちていくのである。

1979年に中国がIOCに復帰し、日本と入れ替わるように体操大国の地位を占めるようになる。中国の強さは長らく国際舞台から締め出されていた当時から知られていたが、国際舞台への登場がより効果的に作用した。
ソ連はその後解体するが、分裂後はロシア以外にもベラルーシという体操強国も生んだ。

加藤、笠松、塚原らの世代は、不利なルール変更にも耐えて世界トップの地位を守った強さがあったが、モントリオールのとき30歳前後、もっと早い世代交代が必要だったのかもしれない。

この4年前のミュンヘン大会の個人総合、鉄棒、平行棒は日本が金銀銅を独占した。
あまりの日本の強さにモントリオール大会から1ヵ国個人総合3人、種目別2人までしか決勝進出出来ない様にルールが改正されている。当初日本に不利なルール改正とされたが弱体化に伴い、モントリオールではこのルールが日本の味方になった。

体操ニッポン5連覇の歴史 個人総合は全員、種目別はメダル獲得者のみ
○1960年ローマ大会 
男子団体/1位(相原信行/遠藤幸雄/小野 喬/竹本正男/鶴見修治/三栗 崇)
小野 喬/個人総合2位、吊り輪3位、跳馬1位、平行棒3位、鉄棒1位
鶴見修治/個人総合4位、鞍馬3位
遠藤幸雄/個人総合5位
竹本正男/個人総合5位、鉄棒2位
相原信行/個人総合7位、床1位
三栗 崇/個人総合9位

○1964年東京大会 
男子団体/1位 (遠藤幸雄/小野 喬/鶴見修治/早田卓次/三栗 崇/山下治広)
遠藤幸雄/個人総合1位、床2位、平行棒1位
鶴見修治/個人総合2位、鞍馬2位、平行棒2位
山下治広/個人総合6位、跳馬1位
早田卓次/個人総合8位、吊り輪1位
三栗 崇/個人総合9位
小野 喬/個人総合11位

○1968年メキシコ大会
男子団体/1位(遠藤幸雄/加藤沢男/加藤武司/監物永三/塚原光男/中山彰規)
加藤沢男/個人総合1位、床1位、吊り輪3位
中山彰規/個人総合3位、床2位、吊り輪1位、平行棒1位、鉄棒1位
監物永三/個人総合4位、鉄棒3位
加藤武司/個人総合5位、床3位
遠藤幸雄/個人総合8位、跳馬2位
塚原光男/個人総合18位

○1972年ミュンヘン大会
男子団体/1位(岡村輝一/笠松 茂/加藤沢男/監物永三/塚原光男/中山彰規/本
間二三雄)
加藤沢男/個人総合1位、鞍馬2位、平行棒1位、鉄棒2位
監物永三/個人総合2位、鞍馬3位、平行棒3位
中山彰規/個人総合3位、床2位、吊り輪1位
笠松 茂/個人総合5位、床3位、平行棒2位、鉄棒3位
塚原光男/個人総合8位、吊り輪3位、鉄棒1位

○1976年モントリオール大会
男子団体/1位(笠松 茂/梶山広司/加藤沢男/監物永三/塚原光男/藤本 俊/五
十嵐久人)
加藤沢男/個人総合2位、平行棒1位
塚原光男/個人総合3位、跳馬2位、平行棒3位、鉄棒1位
梶山広司/個人総合5位、跳馬3位
監物永三/鞍馬2位、鉄棒2位

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Comments

日本選手団が オリンピック 男子 団体球技で最初に メダルを
獲得した競技はなんでしょう。

Posted by: 瀬古延郎 | August 19, 2004 at 08:25 PM

はじめまして。

日本が球技で最初にメダルを獲得したのは、
1932年のロサンゼルス大会のホッケー
(男子)です。
金 インド 銀 日本 銅 アメリカでした。
ただ、このときは欧州勢は参加せず、3カ国中
の中の銀メダルです。

その後は東京大会の男女バレーまで獲っていません。

Posted by: くじらなみ | August 20, 2004 at 11:27 AM

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