オリンピックの記憶(4) セバスチャン・コー
Q.モスクワ・ロサンゼルス両オリンピックを連覇した選手はいるでしょうか。
1.まったくいない
2.僅かだがいる
モスクワ、ロサンゼルスと片肺五輪が続いた中、両大会を連覇した選手が3人いる。
陸上10種競技D・トンプソン(イギリス)、ボートシングルスカルのP・カルピネン(フィンランド)と陸上1500㍍のセバスチャン・コー(イギリス)である。
上流階級出身のコーには同じイギリス国内に労働者階級出身のスティーブ・オベットという強力なライバルがいた。マスコミはこの2人を煽るのだが、2人の直接対決はなかなか実現しなかった。
陸上競技中距離には800㍍、1500㍍のオリンピック種目と、ヨーロッパで人気の高い1マイル(非オリンピック種目)があり、コーは800㍍を、オベットは1500㍍と1マイルを得意としていた。
モスクワ大会では800㍍で優勢と言われたコーがオベットにまさかのミスで負けるものの、「明日は別の日、別の戦い」と記者団に答え、オベットが得意の1500㍍で雪辱を果たして見せた。
その後コーは充血吸虫の病気でレースから遠ざかるが、83年のヘルシンキの世界選手権で復活。
ロサンゼルス大会ではまたも800㍍で銀メダル。メダルの取れなかったオベットから「こんな苦しいレースを戦うには俺たち年取りすぎたね」とか言われながら、嫌いな種目であった1500㍍で2連覇を果たす。
西側諸国のボイコットしたモスクワ大会と東側諸国のボイコットしたロサンゼルス大会の両オリンピックを制した数少ない選手となった。
モスクワ大会は、ソ連のアフガニスタン侵攻に対し、アメリカのカーター大統領がボイコットを提唱、西ドイツ、日本などが追従した。
イギリスは、当時のサッチャー首相がBOA(イギリスオリンピック協会)にボイコットを呼びかけるも、BOAは筋を曲げず、モスクワ大会参加を決めた。
イギリス政府の圧力はすさまじく、企業の寄付は止められ、一般市民からの募金が頼りとなったが。
選手は滞在費を切り詰めるため、試合に合わせてモスクワ入りする策をとった。
イギリス下院はボイコット支持を決め、世論も70%がボイコットを支持していたが、セバスチャン・コーの訴えに触れ逆に70%のボイコット反対に変わっていった。
ユニオンジャックではなく五輪旗を、UK(英国)のプラカードではなくBOAのプラカードを持って、唯ひとり開会式に参加したのはBOA会長のR・パーマー氏。
選手個人は一人も開会式には参加していなかった。
コーの金メダルの表彰式でも、イギリス国歌「ゴットセーブザクイーン」ではなく「五輪賛歌」が流れ、五輪旗が掲げられた。
国家と政治から距離を置き、選手個人の選択を彼らは貫いたのである。
1980 モスクワ大会 (800㍍)
1.S・オベット(英国)1:45.4
2.S・コー(英国)1:45.9
3.N・キロフ(ソ連)1:46.0
(1500㍍)
1.S・コー(英国)3:38.4
2.J・ストラウブ(東独)3:38.8
3.S・オベット(英国)3:39.0
1984 ロサンゼルス大会 (800㍍)
1.J・クルーズ(ブラジル)1:43.00
2.S・コー(英国) 1:43.64
3.E・ジョーンズ(米国)1:43.83
(1500㍍)
1.S・コー(英国)3:32.53
2.S・クラム(英国)3:32.8
3.J・バスカル(スペイン)3:3430
コーとオベットのようなライバル対決は、なかなか最近の日本のマスコミに取り上げられることはない。メディアは日本人選手ばかり追いかけ、しかも、競技も良く知らないタレントが起用される。
こうしたこともオリンピックをつまらなくしている要因であると思う。
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