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June 22, 2004

オリンピックの記憶(3)アメリカのバスケットボール

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Q.アメリカのバスケットボールのオリンピックでの戦績は次のうちどれが正しいでしょう。

1.初参加以来負けたことがない
2.ドリームチーム誕生以前はよく負けた
3.圧倒的勝率を残すが、優勝できないこともあった

こたえ.3

ある競技に対してひとつの国が圧倒的に強いことが、現代のオリンピックでもある。
日本の柔道、韓国のアーチェリー、パキスタンのホッケーなどいくつか思い浮かぶが、やはりなんといってもアメリカのバスケットボールではないだろうか。

1936年ベルリン大会でバスケットが採用されてから、2000年のシドニー大会までにアメリカは109勝2敗、勝率98%、金メダル獲得12回。
だが、2回金メダルが獲れなかったことがある。

バスケット王国アメリカにとって、オリンピックの金メダルなど、大学生の良い選手を集めれば金メダルは十分に獲れるという競技だった。
かつては、厳格なアマチュアリズムの規定にも縛られ、当然プロ選手に門戸は開放されていなかった。

1972年ミュンヘン大会、このときのアメリカチームは学生界のセカンドチーム的なメンバーだったと言われている。それでも全く他チームの相手になることなく、決勝まで駒を進めた。
対する相手は、ソビエト式選手育成法がピークに達する直前のソ連。冷戦華やかなりし時代に当然のように米ソが激突したのである。
アメリカは劣勢の試合に終始するも終了3秒前にフリースローでソ連を1点差で逆転、ここで試合終了かと思われた。が、フリースローの前にソ連がタイムアウトを要求していたとして時計は3秒前に戻される。ソ連のインバウンズパスは失敗、アメリカは再び勝利に沸くが、FIBA(国際バスケットボール連盟)会長のW・ジョーンズの指示でなぜか時計は再び3秒前に。ソ連のロングパスからゴールが決まり、アメリカがオリンピック史上初めて敗戦を味わうことになった。

この2回のタイムリセットは不当だとして、アメリカは銀メダルの表彰台をボイコット。銀メダルは現在でもミュンヘン市の銀行の倉庫に保管され、当時のアメリカ関係者は今も優勝はアメリカであると信じている。

4年後、モントリオール大会に万全に合わせてきたアメリカに対し、ソ連は準決勝でユーゴスラビアに不覚、アメリカはソ連と対戦することなく金メダルを獲得。
さらに4年後、モスクワ大会にアメリカは現れず、金メダルはイタリアを下したユーゴスラビアが獲得。その4年後のロサンゼルス大会にソ連は現れず、金メダルはスペインを下したアメリカが獲得。
ミュンヘン以来の、オリンピックでの米ソ対決は1988年のソウル大会まで、16年待たなければならなかった。

その頃、ヨーロッパはバスケットボールの第2のメッカになり、アメリカの大学からNBAに入る選手も目立つようになってきた。
ソウル大会、アメリカの準決勝の相手はソ連。ソ連にとっても8年振りのオリンピックの舞台、またソ連にはサボニス、トカチェンコという220㌢級のセンターや後にNBAでも活躍する選手も含まれていた。
そして76-82。アメリカは16年前に続いてソ連に敗れたのである。

ソウルでの敗戦により学生選抜チームの限界を悟ったこと、ちょうどオープン化を図り、最高のスポーツ選手の集う祭典へと変貌を遂げつつあるオリンピックの変革期にぶつかったこともあり、さらに4年後のバルセロナ大会にはドリームチームが登場してくるのである。
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アメリカとヨーロッパ勢の力の差は縮まっているといわれ、金メダルを獲ったシドニー大会でもアメリカは準決勝でリトアニアに85-83の際どい勝利、決勝のフランス戦でも85-75と優勝するも、バルセロナ当時のような爆発的な面影はない。
2002年の世界バスケットでアメリカは6位に沈んでいる。
アテネではどんなプレイを見せてくれるのだろうか。

●男子バスケットメダル獲得国
1936 アメリカ カナダ メキシコ
1948 アメリカ フランス ブラジル
1952 アメリカ ソビエト ウルグアイ
1956 アメリカ ソビエト ウルグアイ
1960 アメリカ ソビエト ブラジル
1964 アメリカ ソビエト ブラジル
1968 アメリカ ユーゴスラビア ソビエト
1972 ソビエト アメリカ キューバ
1976 アメリカ ユーゴスラビア ソビエト
1980 ユーゴスラビア イタリア ソビエト
1984 アメリカ スペイン ユーゴスラビア
1988 ソビエト ユーゴスラビア アメリカ
1992 アメリカ クロアチア リトアニア
1996 アメリカ ユーゴスラビア リトアニア
2000 アメリカ フランス リトアニア

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