オリンピックの記憶(7) 田口 信教と笠谷 幸生
Q.これまでに日本人選手で平泳ぎで金メダルを獲った選手は何人いるでしょう。
こたえ.6人(延べ7回)
1928年・32年 鶴田義行
1936年 前畑秀子・葉室鉄夫
1956年 古川勝
1972年 田口信教
1992年 岩崎恭子
冬季五輪の開催年が夏季五輪の中間年になったのは1994年のリレハンメル大会から。
以前は、冬季・夏季大会が同一年に開催されていた
1972年は、日本初の冬季五輪、札幌大会と、ミュンヘン五輪が開催された。
この年に金メダルを獲った中に田口信教と笠谷幸生がいる。
田口は16年ぶりの競泳(100㍍平泳ぎ)金メダリスト、笠谷は史上初の冬季五輪(70㍍級ジャンプ)金メダリストである。
田口は日本の五輪選手には非常に珍しい大学院修了の商学修士。しかも広島修道大学という地方出身である。
かつて、平泳ぎは「頭を完全に水没させてはいけない」など今よりも泳法に制限があり、1968年のメキシコ大会、高校生だった田口の水面に足を抜くキックは泳法違反を取られ、準決勝で失格となった。が、このときに出したタイム1分9秒08に自信を持ったという。
1972年のミュンヘン大会、100㍍平泳ぎ決勝、50㍍を7位で折り返した田口は、ターン後の50㍍で6人を抜き、「生涯最高のレース」で金メダルを獲得。タイムも1分4秒94の世界記録だった。
意外と知られていないことだが、平泳ぎの100㍍はメキシコ大会から採用になった比較的新しい種目で、五輪で平泳ぎは長い間200㍍しか実施されていなかった。
これは女子の平泳ぎも同じで、ベルリン五輪金メダル、「前畑がんばれ」でおなじみの前畑秀子さんの時代も200㍍しか実施されていない。
五輪の出されたタイムはその場で公認されることになっており、自身が準決勝で出した世界記録を更新するものだった。そして田口は200㍍平泳ぎでも2分23秒88で銅メダルを獲得。
さらに、日本チームは青木まゆみが100㍍バタフライで世界記録を出して優勝。メダル3個を獲得した。
この時代、競泳界には7冠王スピッツ(アメリカ)や、鉄人マッテス(東独)がいる古きよき時代だが、日本の金メダルは体操、柔道で量産するもので、筆者も、日本人も競泳で金メダルが獲れるとはなかなか信じられなかった記憶がある。
組織的な選手育成をしていない日本にとっては、彗星のごとく現れた田口の後継者はなかなか出てこない。必然的に4年後のモントリオールでも世間は田口に期待し、彼も就職をせず大学院に進学し、選手活動を続けるのである。
が、肉体的な維持よりもモチベーションの維持の方が難しかったようだ。
75年の世界選手権の100㍍で銀メダルを獲得するも、4年間自己ベストは出ず、モントリオール大会を迎えた。
このときは、予選で4年ぶりの自己ベスト(日本記録)を更新するが、準決勝でフライイングを重ね、敗退。タイムも1分05秒69と4年前の金メダルタイムを上回れなかった。
●田口信教の五輪戦積
1968年メキシコ大会
100m平泳ぎ 準決勝で泳法違反(1分09秒8)
200m平泳ぎ 予選落ち(2分35秒5)
4×100mメドレーリレー
岩崎邦宏、田口信教、田中毅司雄、丸谷里志 5位入賞(4分01秒8)
1972年ミュンヘン大会
100m平泳ぎ 金メダル(1分04秒94)
200m平泳ぎ 銅メダル(2分23秒88)
4×100mメドレーリレー
駒崎康弘、佐々木二郎、田口信教、本多忠 6位入賞(3分58秒23)
1976年モントリオール大会
100m平泳ぎ 1分05秒69、準決勝12位
200m平泳ぎ 予選落ち(2分24秒12)
4×100mメドレーリレー
田口信教、原秀章、本多忠、柳館毅 8位(3分54秒74)
▲当時の入賞は6位までで8位ながら入賞は果たしていない。
一方、笠谷幸生。札幌五輪70㍍級ジャンプ(現ノーマルヒル)の日の丸飛行隊での金メダルはあまりに有名だが、五輪は64年のインスブルック大会から76年のインスブルック大会まで4回出ている。
76年のインスブルック大会は、開催地に決まっていたアメリカのデンバーが自然破壊を理由に開催返上を住民投票で決定し、再びお鉢が回ってきて開催した大会である。
このとき32歳の笠谷は日本選手団の旗手を務めていた。
現在のように科学的トレーニングで長い選手寿命を保つ以前の話である。どう見ても選手としての峠は越えていたのだろう。
笠谷は70㍍級16位、90メートル級17位で4回目の五輪を終えた。
●笠谷幸生の五輪戦積
1964年インスブルック大会
70m級ジャンプ 23位(200.60)
90m級ジャンプ個人 11位(206.70)
1968年グルノーブル大会
70m級ジャンプ 23位(196.4)
90m級ジャンプ 20位(191.1)
1972年札幌冬季大会
70m級ジャンプ 金メダル(244.2)
90m級ジャンプ 7位(209.4)
1976年インスブルック大会
70m級ジャンプ 16位(224.0)
90m級ジャンプ 17位(192.3)
*現在は70m級ジャンプ →ノーマルヒル、90m級ジャンプ →ラージヒルと名称が変わっている。ジャンプ団体は1988年カルガリー大会から正式種目に採用され、日本は出場11か国中最下位だった。
☆
ミュンヘンから32年。この間男子の平泳ぎは「お家芸」として常にメダルが期待されてきた。
高橋繁浩、渡辺 健司、林亨… 何人ものスイマーが挑戦してきたが、届いていない。
アテネでは北島康介が挑む。現役の世界記録保持者、世界選手権優勝者の挑戦は初めて。
果たして金メダルに手が届くだろうか。
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