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August 20, 2004

20年ぶりのメダル 12年ぶりの金

Q.日本で初めてアーチェリーでメダルを獲った選手といえば誰でしょう。

1.道永宏 2.山本博 3.松下和幹

こたえ.1.道永宏 モントリオール大会 個人銀メダル

8月19日 柔道100㌔級の井上康生が無念のメダルなしに終わり、阿武教子が3度目の五輪で初の金メダルを掴んだ直後、ビッグニュースが飛び込んできた。
アーチェリー男子個人で山本博選手が銀メダルを獲得した。
山本は現在41歳。20年前の日体大時代にロサンゼルス大会で銅メダルを獲得。シドニー大会は国内選考で敗れたものの、5度目の五輪で2度目のメダルを獲った。

山本の快挙を見て、ある女性選手を思い出した。
彼女の名前はウルリケ・マイファルト
16歳と28歳で2回、走り高跳びで金メダルを獲った選手である。

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▲切手にデザインされたマイファルト

マイファルトはドイツのフランクフルトで生まれた。早くから走り高跳びの才能を発揮していた彼女は1971年、15歳で西ドイツ選手権に2位に入り注目を得た。
翌年、地元開催のミュンヘン五輪 西ドイツ代表の3名に滑り込んだ。

この4年前のメキシコ五輪、走り高跳びはアメリカのフォスベリーによって転換期を迎えたといっても過言ではない。現在では、誰しもが跳ぶ背面跳びを最初に始めたのがフォベリーである。
ミュンヘン五輪当時、背面跳びをマスターしていた選手は少なく、自己ベストが1㍍85だったマイファルトはホームの熱狂的な応援を背に1㍍92を跳び優勝。
16歳の金メダリストとなる。

岩崎恭子が14歳で金メダルを獲った後、自分の泳ぎが出来なくなり、アトランタ五輪に出場するも、金メダルタイムを更新することは一度もなく引退した。洋の東西を問わず、若き金メダリストが壁にぶち当たるのは同じようだ。

マイファルトも1974年、78年の欧州選手権では7位、5位とタイトルを獲ることは出来ず、76年のモントリオール五輪では決勝に進むことが出来なかった。
1980年のモスクワ五輪は、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議しアメリカがボイコットを提唱。西ドイツは、日本と同様アメリカに追随し、マイファルトはモスクワの地を踏むことが出来なかった。

1982年、26歳になったマイファルトは室内とアウトドアの両方の欧州選手権に優勝。
1983年、ヘルシンキで開催された第1回世界陸上選手権ではブルガリアのタマラ・ビコワと壮絶な争いの末2位。直後のロンドンの競技会ではビコワとともに2㍍03の世界記録を跳び、翌年のロサンゼルス五輪の優勝候補に名を連ねていった。

1984年、ロサンゼルス五輪はソ連、東ドイツなど東側諸国が報復ボイコット。
五輪でのビコワとの対決は見ることはできなかったものの、マイファルトは12年ぶりに同一種目での金メダルを獲得。
優勝記録は2㍍02と好記録だった。

●女子走り高跳びのメダリスト
1972 ミュンヘン大会
1.マイファルト (西ドイツ)  1㍍92
2.ブラゴエーワ (ブルガリア)1㍍88
3.グーゼンバウアー (オーストリア)  1㍍88

1976 モントリオール大会
1.アッカーマン (東ドイツ)  1㍍93
2.シメオニ (イタリア)    1㍍91
3.ブラエゴワ (ブルガリア) 1㍍91

1980 モスクワ大会
1.シメオニ (イタリア)    1㍍97
2.ケラン (ポーランド)    1㍍94
3.ケルスト (東ドイツ)    1㍍94

1984 ロサンゼルス大会
1.マイファルト(西ドイツ)   2㍍02
2.シメオニ(イタリア)     2㍍00
3.ハントレー(アメリカ)    1㍍97

どの名前も懐かしいが、特にモントリオール大会を制したアッカーマン。
この人が最後のベリーロールでの金メダリストということになる。
なかなかの美人でファンだった記憶がある。

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