日本がケー・スンヒの金メダルを奪った
男子体操の6種目の内、日本人選手が唯一五輪で金メダルを獲ったことのない種目は何でしょう。
1.あん馬 2.跳馬 3.つり輪
こたえ.あん馬
昨年の世界選手権では、鹿島選手があん馬で金メダルを獲っており、今大会はチャンスと見られていたが、惜しくも銅メダルに終わった。
日本時間の早朝、体操のフィナーレを飾る種目別鉄棒が行なわれた。
この種目のシドニー大会の金メダリスト ロシアのアレキセイ・ネモフは3人目に登場、離れ業を連発するも着地が乱れ、9.725と得点が伸びずに終わった。
これに対し、納得のいかない観客がブーイングで抗議する。
この状態が10分以上続いた。
この間、テレビではわからなったのだが、得点は9.762と訂正されたらしい。
ところが、観客は騒然としたまま。
すると、ネモフは自ら演技台に上がり、騒動を手で制した。
アトランタ大会から3度目の五輪、シドニーの個人総合も制したベテランは事態を収めた。
自分の演技の前に中断を余儀なくされたアメリカのポール・ハムは気を取り直し、9.812を出し、銀メダルに輝いた。
国際体操連盟(FIG)は審判の採点に対して、選手からの抗議も認めておらず、観客の騒ぎで得点を見直すのは極めて異例だ。
鉄棒の主審を務めた加藤沢男氏は「私は変えるつもりはなかった。上(FIG幹部)から差が開いている審判を呼んでチェックするように言われた」と説明。協議の結果、一部審判が上方修正した。
日本の塚原光男チームリーダーはこの異常事態に「チームからの抗議で点数が変わることはあるが、ブーイングで点数が上がったことは記憶にない」と驚きながら話している。
体操では、男子個人総合でもトラブルがあった。
3位となった韓国選手の演技で、国際体操連盟は採点ミスを認めたが、順位の変更はなし。これを不服とした韓国チームがスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴している。
日本人にとって誤審といえばシドニー大会柔道での篠原信一の「内股すくい」を思い出す。この「誤審事件」を反省した国際柔道連盟は、審判レベルの向上に力を注いでいる。
今回は優秀な審判を集めたうえ、審判の判定を査定する「審判の審判」を置く。序盤で「その日いい判断をしている」と評価された審判だけが、準決勝以上の担当を任される。過去の五輪や世界選手権では、日本のメダルラッシュが続くと、日程後半には日本選手への判定が厳しくなる傾向もみられたが、「今回はばらつきが少ない」と関係者は説明する。(朝日新聞)
柔道で日本は予想以上の成績を挙げた。金メダル8個は一大会における一競技の金メダルの最高数になる。(これ以前はメキシコ大会体操の6個)
これは、偶然ではなく、日本が公正な審判を求めた結果ということになる。
一方、朝鮮日報(韓国)日本語版にはこんな記事が載った。
『日本がケー・スンヒの金メダルを奪った』
北朝鮮が16日行われた柔道女子57㌔級決勝のケー・スンヒとベニシュ(ドイツ)の競技に対し、日本人審判の偏向判定疑惑を提起した。
ケー・スンヒは有効を1つ取り、有効1、効果1を取ったベニシュに惜しくも敗れ、銀メダルに終わった。しかしこうした結果は主審を務めた日本人審判の遠藤純男氏が偏向
判定をしたためだというのが北朝鮮側の主張だ。
ケー・スンヒとベニシュが同時に指導を受けた時間は試合開始18秒。朝鮮柔術(柔道)協会のパク・ハクヨン書記長は「通常、25秒以上消極的な試合態度を取ると指導を与える判定要領が、厳しく適用された」と説明した。
しかしケー・スンヒは効果1つリードされた状況で、残り1分から5回も技をかけたのに対し、ベニシュは目に見えて消極的な試合態度を取ったが、試合序盤のような厳しい指導は出なかったという。
パク書記長は「外国人記者はもちろん、審判出身の外国チームの指導者たちも、異口同音に判定に疑問を呈した」と訴えた。
アトランタ大会で田村亮子を破った選手として有名なケー・スンヒだが、上記の件は決勝の相手が日本人選手ではなかったため、特に日本では話題となっていない。
実際、実績のある審判が判定をし、それをジュリーが更に監督するといった現在のシステムであれば、北朝鮮に対する日本の不信感がいかに高かろうと、遠藤主審が「故意」でケー・スンヒを敗者とすることは起こり得ないであろう。
今大会、韓国のメディアはかなり北朝鮮選手に好意的であると伝えられる。
その北朝鮮選手団中最大のヒロイン ケー・スンヒに対する韓国の同情と見えなくもない。
遠藤純男氏といえば、モントリオール大会93キロ超級1回戦でソ連のノビコフに敗れ、銅メダルに終わった選手である。
この年(1976年)の全日本柔道選手権は19歳の山下泰裕が優勝するが、全日本柔道連盟は「若すぎる」として山下を五輪代表に選ばなかった。
そして、モントリオールでは、93キロ超級に遠藤純男、無差別級に上村春樹が出場し、前述のように遠藤は銅メダル、そして上村は金メダルを獲得する。
4年後の全日本柔道選手権、モスクワ大会ボイコット騒動の最中、打倒山下に燃える遠藤は奇襲「蟹ばさみ」で山下の足を骨折させてしまう。
さらに、遠藤は秋田経法大の監督になり弟子の渡辺某が山下と対戦した際にまたしても「蟹ばさみ」をしかけた人物でもある。
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