オリンピック4連覇
Q.オリンピック4連覇を果たした選手はまだいない。
1.○
2.×
柔道の野村忠宏選手が五輪3連覇を果たしたが、同一種目での五輪連覇は幾つが最高であるか、ご存知だろうか。
答えは4連覇である。3連覇で8年、4連覇なら12年の年月が必要になる。
4連覇を達成したのはたったの二人。陸上円盤投げのアルフレッド・オーター(アメリカ)と陸上走り幅跳びのカール・ルイス(アメリカ)である。
3人目の4連覇に挑む選手はときどき現れる。
例えば、シドニー大会レスリンググレコローマン130㌔級に出場したアレキサンドル・カレリン(ロシア)。霊長類最強のニックネームを持っていたカレリンだったが、決勝でアメリカのガードナーにまさかの敗退。4連覇の難しさを見せつけられた。
アテネ大会でも二人が4連覇に挑んだ。
一人は陸上やり投げのヤン・ゼレズニー(チェコ)。チェコスロバキア代表として五輪デビューした1988年のソウル大会では銀メダルに終わったが、その間、チェコスロバキアは、チェコとスロバキアに分裂するも92年バルセロナ、96年アトランタ、00年シドニーと王座を守りつづけてきた。
そして37歳になった今大会、決勝に残るも4投目以降に進む8人には残れず、9位に終わった。もう五輪や世界選手権には出る気はないが、小さなローカルの大会には出たいと話している。そういえばアトランタ大会の直後には、アトランタブレーブスの入団テストを受けたなんて話もあったが、野球のルールが難しすぎて断念したはずだ。ご苦労さま。
●やり投げ ヤン・ゼレズニー
1988年 ソウル大会
銀 84.12m
1992年 バルセロナ大会
金 89.66m
1996年 アトランタ大会
金 88.16m
2000年 シドニー大会
金 90。17m
2004年 アテネ大会
9位 80.59m
もう一人は地元ギリシャの選手団旗手も務めた重量挙げ85㌔級のピロス・ディマス32歳。
4連覇を狙った最後の試技で207.5㌔に失敗し、銅メダルに終わると、シューズを脱ぎ手を振って立ち去った。この意味を察したギリシャの観客全員が立ち上がり、国旗を振って拍手と歓声を上げた。
もともとはアルバニアのギリシャ系移民の出身。1990年にギリシャ重量挙げ連盟会長の要請を受けてギリシャへ。92年のバルセロナ大会では88年振りの重量挙げの金メダルをギリシャにもたらした。
●重量挙げ 85㌔級 ピロス・ディマス
1992年 バルセロナ大会
金 370.0㌔
1996年 アトランタ大会
金 392.5㌔
2000年 シドニー大会
金 390.0㌔
2004年 アテネ大会
銅 377.5㌔
4連覇を達成した2人のはなし。
生涯で9個の五輪金メダルを獲ったカール・ルイスだが、4連覇を果たしたのは走り幅跳びである。その優勝記録は、
ロサンゼルス 8.54m
ソウル 8.72m
バルセロナ 8.67m
アトランタ 8.50m
実は19歳のときのも幻のモスクワの代表に選ばれていて(金メダルはドンブロウスキー8.54m)ひょっとしたら前人未到の5連覇もあったのではなかったかと思う。
でも、ルイスのほんとうに凄かったのは1991年に開かれた東京の世界陸上。
①8.68m
②棄権
③8.83m
④8.91m
⑤8.87m
⑥8.84m
と、信じられないジャンプを連発する。
ただ、同じアメリカのマイク・パウエルが世界記録の8.95mを跳び銀メダルに終わった。
負けてもなおルイス強しを印象付けたジャンプだった。
最後にアルフレッド・オーター。
陸上円盤投げでメルボルン、ローマ、東京、メキシコで4連覇を果たした後、幼かった娘二人と一緒にいてやりたいといって引退。
娘も大きくなり、2大会ブランクの後モスクワ大会にカンバックしようとした。
1980年の全米陸上では2位に入り、幻のモスクワ代表にも選ばれた。
ロサンゼルス大会の開会式で五輪旗を掲げた一人だったと記憶している。
1980年に創刊されたNUMBER誌にボイコット騒動の渦中のオーターのインタビュー記事が出ていた。
黙々と練習する中「(カーター)大統領は間違っていない」と語っていたのを今なお思い出す。
円盤投げやハンマー投げは、築き上げた技術という財産が長く維持できる種目なのだろう。
それにしても、メルボルン(1956年)から24年後に、その水準を保ったというのは、奇跡的である。
●円盤投げ アル・オーター
1956年メルボルン大会
金 56.36m
1960年ローマ大会
金 59.18m
1964年東京大会
金 61.00m
1968年メキシコ大会
金 63.78m
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