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September 27, 2004

2011年ワールドカップ日本招致へ

2011年に開催される第8回ラグビーW杯に日本が正式に立候補を表明した。         
立候補の締め切りは9月30日。日本のほかには南アフリカとニュージーランドも名乗りを上げている。開催国は来年11月のIRB(国際ラグビーボード)理事会で決定される。日本ラグビーフットボール協会協会では招致実行委員会を発足、委員には元日本代表監督の平尾誠二氏が名を連ね、10月には<ahref="http://www.mori-yoshiro.com/">森喜朗元首相(!)を最高顧問とする招致特別委員会がスタートする。

RUGBY-JAPAN-2011W杯といえばサッカーがまず思い浮かぶが、ラグビーにもW杯がある。五輪種目と重複しない競技のW杯の中では、クリケットと並ぶ最大規模で開催されるのがラグビーW杯である。
今回立候補意思を表明した日本には、10月にIRBから申請用紙が送られてくる。
この申請用紙を元に12月に2回目のエントリーをする。この時点で立候補した協会に正式な“立候補資格”が与えられる。
そして2005年5月に開催案(申請書)をIRBに提出、6月にはIRBにはインスペクション(会場視察)があり、11月のIRB理事会で理事の投票により開会国が決定する。

 

IRBには現在21名の理事がいる。いわゆるIRB創設協会といわれるイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド(行政上異なる北アイルランド(英国)とアイルランド共和国がひとつの協会を構成している)、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ協会から2名ずつ、アルゼンチン、イタリア、カナダ、日本協会から1名ずつ、さらにFIRA(ヨーロッパラグビー機構)から1名の定員が決められている。

この理事会での21名の理事の投票で開催国が決定される。
果たして日本は招致を遂げることができるだろうか。
対立候補の南アフリカは、95年大会の開催国で優勝国。だが、2010年のサッカーW杯の開催国でもあり、2年続けてのビッグイベントの開催が財政的に可能であるか、あるいは近いの将来の五輪開催も含めてビッグイベントが南アフリカに集中し過ぎないか、また、治安の悪さもどのように評価されるか。
ニュージーランドは、ラグビー強国として著名であるが、人口は僅かに400万に過ぎない。
W杯を単独で開催するには、国の規模が小さすぎないかとの懸念がある。
そして日本。過去5大会連続W杯出場の実績も僅かに1勝しかしていない。選手の体格がものをいうラグビーで世界で伍すだけの強化が果たせるか、開催国であればどうしてもベスト8まで進出するのは必要なこと。また、果たしてスタジアムは観客で埋まるだろうか。

来日したIRBのミラー事務局長は、記者会見の席上で「ワールドカップ開催の条件」として次の5つを提示した。
1)収益性 W杯の収益をその後4年間、およそ100か国のIRB加盟国への育成補助金として活用する
2)観客動員 ラグビーのプロモーションのためにもスタジアムには必ず多くの観客が入っていること
3)インフラの整備 国際大会を開催できるインフラが十分整備されていること
4)警備 滞在チームが安心して参加できる環境にあること
5)政財官界からのサポート
その国の政財官界から支援を受けていること
日本の場合、3~5の項目については文句のないところであろう。特に日本ラグビー協会は、サッカーW杯を開催した自治体など10都市11スタジアムに既に打診をしているといわれる。
問題は、ラグビー人気が低迷する中、観客が十分入るか、観客が十分入るだけのパフォーマンスを開催国ができるか、日本にラグビー文化が根付いているかである。

ラグビーW杯第1回が開催されたのは1987年。
ニュージーランドとオーストラリアの共催で行なわれ、KDD(当時)が冠スポンサーとして就いた。当時、ラグビー(ユニオン式)界では、5カ国対抗(英国3協会プラスアイルランド、フランス)が、最もレベルの高い大会であったが、南半球の強豪、オーストラリア、ニュージーランドの提唱で、世界一を決めるこの大会が発足した。

第1回のラグビーのW杯が開催されたのは1987年。
五輪(1896年)、FIFA W杯(1930年)と比較しても極最近である。
第1回はオーストラリアとニュージーランドで共催され、南半球であることも考慮され5月から6月にかけて開催された。
当時は、現在のような予選がなく、IRB国際ラグビー機構による推薦で16カ国が出場。この16カ国の中に日本も含まれ、アパルトヘイト政策で当時国際スポーツの舞台から締め出されていた南アフリカは参加していない。 
優勝は29-9でフランスを下したニュージーランド。ウェールズが3位決定戦でオーストラリアに競り勝っている。
順位1)ニュージーランド 2)フランス 3)ウェールズ 4)オーストラリア 8強)イングランド、スコットランド、アイルランド、フィジー

第2回大会は、欧州5カ国を舞台に1991年10月から11月に開催された。オーストラリアがイングランドを敗って優勝。3位決定戦でスコットランドに勝ったニュージーランドが3位。南半球勢強しの印象を強くした。
このとき、予選B組に入った日本代表はでジンバブエを52-8で下し、決勝トーナメント進出は果たせずも、大会史上唯一の勝利をおさめている。

順位1)オーストラリア 2イングランド 3)ニュージーランド 4)スコットランド 8強)アイルランド、フランス、サモア、カナダ

第3回大会は、アパルトヘイトの解除によって、国際スポーツの舞台に復帰してきた南アフリカがその舞台だった。
それ以前にも実力世界一が南アフリカであったことは、第1回の覇者ニュージーランドが大会後、南アフリカに遠征したことからも想像できる。
この年ではないが、オールブラックスの南アフリカ遠征はアフリカ諸国の反発を招き、76年モントリオール五輪のアフリカ諸国のボイコット騒動にまで進展したこともある。
開催国の南アフリカは、決勝でニュージーランドに勝ち、優勝。イングランド-フランスで争われた3位決定戦はフランスが勝った。
日本は予選C組でニュージーランド、アイルランド、ウェールズに全敗。特にニュージーランド戦の17-145の大差は、当時最大得点差ゲームとして記録に残った。

順位1)南アフリカ 2)ニュージーランド 3)フランス 4)イングランド 8強)スコットランド、オーストラリア、サモア、アイルランド

1999年の第4回大会は、ウェールズ・イングランドを中心にアイルランド、フランスで開催。
D組の日本は、サモア、ウェールズ、アルゼンチンに敗れまたも予選リーグで敗退した。決勝はオーストラリアが35-12でフランスを敗り、2度目の優勝。フランスは前年のFIFA W杯に続く2冠はならなかった。
前回の覇者南アフリカは3位決定戦でニュージーランドを下した。
また、アジア予選で日本に次いで2位になった韓国は敗者復活戦に回り、ヨーロッパゾーン2位のオランダに勝つものの2回戦はトンガに敗れ本大会出場はならなかった。

順位1)オーストラリア 2)フランス 3)南アフリカ 4)ニュージーランド 8強)オーストラリア、イングランド、アルゼンチン、スコットランド 

2003年の第5回大会は、オーストラリアで開催。
B組の日本は、スコットランド、フランス、フィジー、アメリカに敗れ予選リーグで敗退した。決勝はイングランドが20-17で延長の末オーストラリアを敗り、初優勝。3位にはフランスを下したニュージーランドが入った。イングランド優勝の立役者SOジョニー・ウィルキンソンはベッカムばりの人気者になった。

順位1)イングランド 2)オーストラリア 3)ニュージーランド 4)フランス 8強)南アフリカ、アイルランド、スコットランド、ウェールズ

 

1995年の第3回W杯直後に、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドの南半球3協会が、3カ国対抗戦などのテレビ放映について、「ニューズコーポレーション」と独占契約。巨額の放映権料がプロ化への引き金となり、IRB国際ラグビー機構はアマチュア規定を撤廃した。
最もプロ化に乗り遅れていた競技のプロ誕生である。

そして、現在日本でも第2回のトップリーグが開幕し、プロ化の道が進みつつある。
その内容は、各企業と所属選手の雇用関係を継続したまま、選手を日本協会に出向させるというもの。期間は毎年3月から10月、人数は代表30人を含め約80人、協会が選手へ支払う報酬は、出向中の給与、出場給、勝利給、遠征手当等を合わせ、代表で1000万~1500万円といわれている。

 

これについて協会側は「選手に金銭を与えることが目的ではない。代表としての自覚を持たせ、レベルアップを図るため」と、プロ化への理解を求めている。
企業側からは「退職金・ボーナス算定、兼業禁止など既存の就業規則との整合性に欠ける」「企業チームは従来のアマチュアで、代表だけプロというのは説得力がない」などの意見が示されたものの、このシステムが既に始まっているのである。
 

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