2005年世界ノルディックへの道(1)
2007年FIS(国際スキー連盟)ノルディックスキー世界選手権札幌組織委員会は11月8日、東京都内で開かれた説明会で、距離競技のスプリント種目の会場に札幌ドームを使用したい考えを明らかにした。
佐藤宣男事務局長は「大会の目玉にしたいが費用がかさむため、札幌市に予算をお願いしている段階」と話す。
同選手権は07年2月22日から3月4日までの11日間、札幌ドーム以外は大倉山ジャンプ場など既存施設を使ってジャンプ、複合、距離の3競技を行なう。約40カ国・地域が参加予定。
スキー競技にはアルペン、ノルディックとフリースタイルの3競技に分類され、それぞれ独自の世界選手権がFIS(国際スキー連盟)主催で開催されている。
開催は奇数年、五輪を挟んで前年と後年に3つの世界選手権が開催されている。
大昔(戦前?)、後楽園球場(当時)や甲子園球場に雪を運んで仮設のジャンプ台を作り、ジャンプ競技を実施したということを聞いたことがある。
物珍しさで大盛況だったそうだ。
札幌ドームの件は距離スキーでありジャンプではないが、話題になりそうな話しではある。
ノルディック競技は、欧州・日本以外には強国がない。
アメリカもカナダも、距離もジャンプも競技人口は驚くほど少ない。
韓国のジャンプの競技人口は8人だったっけ? カザフスタンは距離王国なのだが…。
世界選手権といっても欧州選手権に日本が紛れ込んだような大会との印象がある。
とにかくノルディックは欧州中心に発達してきた競技であり、世界選手権も欧州中心に開催されてきた。
2007年開催の決まっている札幌市は1990年代から世界ノルディック招致を試みてはいたが、なかなか招致できず、4回目の立候補で招致に成功した。
欧州時間に合わせた競技実施や、欧州でテレビ視聴率が基準に達しなければ日本が金銭の補填をすることまで決まっている。
過去の大会のジャンプの結果を振り返ってみよう。
メダルを獲った日本人選手、獲っていない種目は日本人最高順位を挙げてみた。
LH=ラージヒル NH=ノーマルヒル
2003年 バルディフィエメ(イタリア)
LH③葛西紀明 NH③葛西紀明 LH団体②日本(船木、東、宮平、葛西)
2001年 ラハティ(フィンランド)
LH⑭宮平秀冶 NH⑤原田雅彦 LH団体④日本(宮平、吉岡、原田、葛西) NH団体④日本(宮平、岡部、葛西、原田)
1999年 ラムソー(オーストリア)
LH③宮平秀治 NH①船木和喜 ②宮平秀治 ③原田雅彦 LH団体②日本(葛西、宮平、原田、船木)
1997年 トロンハイム(ノルウェー)
LH①原田雅彦 NH②原田雅彦 LH団体②日本(船木、岡部、原田、斎藤)
1995年 サンダーベイ(カナダ)
LH⑤船木和喜 NH②岡部孝信 ③斎藤浩哉 LH団体③日本(安崎、斎藤、西方、岡部)
1993年 ファルン(スウェーデン)
LH④原田雅彦 NH①原田雅彦 LH団体⑤日本(須田、岡部、葛西、原田)
1970年 ビソケタトリ(チェコスロバキア=当時)
70㍍級②笠谷幸生
1966年 オスロ(ノルウェー)
90㍍級②藤沢隆
1991年のファルン大会から98年の長野五輪を挟んで99年のラムソー大会まで日本ジャンプ陣の黄金期が続いた。
この間、原田雅彦は金メダル2、銀メダル3、銅メダル1を獲っている。
サンダーベイ大会LHで彗星のごとく現れ5位に入った船木は当時19歳であった。
1999年ラムソー大会のNHでは船木、宮平、原田でメダル独占という離れ業もやってのけている。このときは5位に葛西が入るという圧巻ぶりだった。
ジャンプのメダル独占は、札幌五輪70㍍級が余りにも有名であり、こうした奇跡的なことはもう起こりえないと思っていたが、長野五輪の翌年に再現された。
その札幌五輪金メダルの笠谷幸生は70年ビソケタトリ大会の70㍍級で銀メダルを、札幌の70㍍級で14位に終わり、メダル独占に加われなかった藤沢隆は66年のオスロ大会90㍍級で銀メダルを獲得している。
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