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December 17, 2004

迷走 バレーボール全日本監督

アテネ五輪で全日本女子バレーボールチームを率いた柳本晶一監督は、要請されていた続投を保留していたが、16日なって正式に「続投する」ことを決めた。
柳本監督によると 日本バレーボール協会は五輪終了後に組織改変などを優先し、強化事業本部が柳本監督を初めて呼んだのは11月16日のこと。そこでいきなり続投を告げられたという。

11月28日付け朝日新聞によると、柳本監督はJOCのコーチ会議に出て、柔道や水泳の支援体制は、栄養管理から科学データの即時分析など見事に徹底されていたことに驚き、監督一人が全てをやらなければならない「個人商店」では多くのスタッフを抱える「株式会社」には太刀打ちできないと、バレーボール協会の支援不足を問題視していたという。

続投は決定したが、全日本の支援体制は約束されたのだろうか。
20日に記者会見があるので楽しみだ。

●バレーボール全日本女子 監督と五輪順位
1964年 東京 大松博文 1位
1968年 メキシコ 山田重雄 2位
1972年 ミュンヘン 小島孝治 2位
1976年 モントリオール 山田重雄 1位
1980年 モスクワ 小島孝治 -
1984年 ロサンゼルス 米田一典 3位
1988年 ソウル 山田重雄 4位
1992年 バルセロナ 米田一典 5位
1996年 アトランタ 吉田国昭 9位
2000年 シドニー(葛和伸元) ×
2004年 アテネ 柳本晶一 5位

●バレーボール全日本男子 監督と五輪順位
1964年 東京 坂上 3位
1968年 メキシコ 松平康隆 2位
1972年 ミュンヘン 松平康隆 1位
1976年 モントリオール 小山勉 4位
1980年 モスクワ (中村祐造)×
1984年 ロサンゼルス 中野尚弘 7位
1988年 ソウル 小山勉 10位
1992年 バルセロナ 大古誠司 6位
1996年 アトランタ(辻合真一郎) ×
2000年 シドニー(寺廻太) ×
2004年 アテネ (田中幹保) ×

×は出場権を獲得できず。 -は不参加

柳本監督の評価は2分される。
アテネ五輪では12カ国中5位タイ。
とはいえ、5-8位は順位決定戦を行なっておらず、予選リーグで勝った相手はケニアとギリシアのみのベスト8である。
五輪以前3連勝していた韓国にもストレートで敗れている。

その一方で、2大会振りに五輪の出場権を獲れただけで十分という人もいる。
「メダル宣言」もバレーボールに世間を注目させるための一つの手段であり、客観的にみて日本の実力が世界で5~8番目だったことは周知であり、順当な順位であると評価している人も多い。
「メグ・カナ」を売り出し、久々に女子バレーにマスコミを向けさせた功績もある。

▼鬼の大松の亡霊
女子バレーの監督は関西弁で怒鳴りつける鬼監督というイメージがあるようだ。
怒鳴りまくって憎まれ役を買って出る
人格否定をするような罵倒をし、選手を怒らせてその気にする
しかられ役を作り、その人間をしごき倒す
東京五輪の大松監督のイメージが余りに強く、テレビ局もこうした監督像を求め、演出し、また柳本氏自身も好んでそのイメージを演じたようなところがあるが、いかがだろうか。

一方、3大会連続して五輪出場を果たせなかった全日本男子は、1992年バルセロナ五輪で6位入賞時の主将を務めた植田辰哉氏を監督に選んだ
男子監督にはシドニー五輪で旧ユーゴスラビアを金メダルに導いたゾラン・ガイッチ氏、イタリア現役監督のジャンパウロ・モンタリ氏が名乗りを挙げていたが、結局日本人監督を選んだ。
満場一致と記されている。
なんとももったいない。

▼ラグビー、バスケットも外国人監督
日本ラグビー協会が、日本代表監督に外国人を検討していることが明らかになった。
12月で任期の切れる萩本光威監督は留任するものの、平行して外国人監督を選考、人選が固まり次第交代させるというものである。
先の日本代表欧州遠征では、スコットランド、ウェールズ、ルーマニアに大惨敗し、2011年のラグビーW杯招致に影響を懸念する声も挙がっている。強化に本腰を入れたいところだ。

1976年のモントリオール五輪が最後の五輪出場である男子バスケットボールは、2003年からクロアチア出身のジュリコ・パブリセビッチ氏を監督に招聘している。
旧ユーゴスラビアやスペイン、ギリシアのクラブチームを率いた実績があり、欧州生まれのNBA選手も育てている。
2006年のさいたま世界選手権を目指しての招聘だが、スーパーリーグ(日本協会)bjリーグ(新規プロリーグ)の問題があり、日本代表編成にも大きく影響しそうである。
一方、アテネ五輪に出場は果たしたものの10位に終わった女子バスケット。
五輪指揮をした内海知秀氏に代わってこちらでも外国人の名前が挙がっているようだ。

1997年 熊本で開催された世界ハンドボール選手権の日本代表強化のために、日本ハンドボール協会はスウェーデンからオルソン監督を招いた。
また、アテネ五輪アジア予選では名簿上は監督田口隆、コーチ フレデリック・ヴォルとなっていたが、事実上ヴォル氏が監督、指揮を獲った。
ヴォル氏は元フランス代表。本田技研でも長くプレーし、日欧のハンドボールを熟知した人物だった。
五輪出場権は獲得できなかったが、韓国とは引き分け、野球・サッカーを除く男子の球技では最も健闘していた。
05年1月にはチュニジアで世界選手権がある。熊本以来8年振りの世界選手権出場の日本代表監督は松井幸嗣氏が務める。

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