1985年 雨中の北朝鮮戦
普段サッカーと野球の話は書かないようにしている。
私よりも詳しい方ばかりだからだ。
それでも今回はサッカーを取り上げてみた。
今日はサッカーW杯のアジア最終予選 対北朝鮮戦が埼玉スタジアム2002で開催される。
いまから丁度20年前、国立競技場にW杯予選の北朝鮮戦を見に行ったことがある。
というか、86年メキシコ大会の予選、ホームの試合はずっと通っていたのだ。
当時、Jリーグなるものはなく、実業団による日本リーグ時代。
仕事をしないでサッカーだけすれば良いという契約選手はいたが、制度上のプロ選手=スペシャルライセンスプレーヤーは、西ドイツで活躍していた奥寺康彦の帰国を待って開始され、日産自動車の木村和司が同時に手を挙げたのは、さらに1・2年先のことだ。
日本代表の予選といっても当日券が試合開始直前でも並ばないで買えた時代である。
ところが、国立競技場の近くまで来ると、いつになく歓声が大きい。
予選も佳境を迎え、盛り上がっているのかと思いきや、スタジアムに入ってびっくり。
国立の半分くらいを占めた観客の7割は在日サポーターだったのである。
黒ずくめの朝鮮学校の制服を着た集団が北朝鮮国旗(韓国は大極旗というが、こちらは何というのだろう)を振りながら試合前から「イギョラ!」「イギョラ!」と異様な雰囲気だった。
雨中の泥濘の試合は、原博実(当時三菱重工 現FC東京監督)が巧みなボールコントロールで敵DFをかわし決勝点を決め、1-0で日本が勝利した。
さらに平壌でのアウェー試合は、人工芝の金日成スタジアムで行われ、10万人の敵観客の中32本シュートを浴びながら0-0でドローに持ち込んだ。
この試合のテレビ中継はなく、NHKのニュースで写真が1枚だけ流された程度の扱いしかされなかった。
それでも、この結果により、W杯出場の夢が大きく膨らむのだが、東アジア代表決定戦での韓国の壁は厚く、日本代表がW杯出場の悲願を果たすのはここからさらに12年先のことである。
●メキシコW杯予選
1985年3月21日 国立 日本1-0北朝鮮
1985年4月30日 平壌 日本0-0北朝鮮
追記: そういえばこの時代の北朝鮮代表にも在日選手の金 鍾成(キムジョンソン)という選手がいた。
1995年になってジュビロ磐田に入団してくるのだが、当時のオフト監督にベンと呼ばれていた。
なぜ「ベン」か? なんてことはない、ベン・ジョンソンと掛けられていたのだ。
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