日系女王 クリスティ・ヤマグチ
世界フィギュア選手権がモスクワで開幕した。
トリノ五輪の出場枠のかかる重要な大会である。
日本女子は荒川静香、安藤美姫、村主章枝というかつてない層の厚さで金メダル獲得に挑む。
日本スケート連盟主導の徹底した英才教育が花開いている。
毎年夏に長野県野辺山で行われる「全国有望新人発掘合宿」では、8~12歳の全国トップの選手を集め、その中から数名を選抜し、海外の大会参加や外国人コーチをつけるなどする英才教育を施している。
今年の世界フィギュアでも金メダルの最右翼荒川静香はこの一期生だ。
日本スケート連盟フィギュア部強化部長の城田憲子氏がこの合宿を発案したのは、アルベールビル五輪で伊藤みどりが金を逃した苦い経験による。
1989年の世界フィギュア(パリ)で日本人初の世界チャンピオンになった伊藤みどりは、アルベールビルで金メダルの重責につぶれ銀メダルに終わった。
1人の選手ではなく、数人でメダルを取りにいかなくてはいけない。1人に重責を負わすことは、よりメダルの可能性を狭めることになる。この考えのもとこのジュニアの強化は始まった。
アルベールビル五輪で伊藤みどりに勝ったのは日系アメリカ人のクリスティ・ヤマグチ。
カリフォルニア州ヘイワードで生まれたヤマグチ。内反足のための物理療法として、子供の時スケートを始めたといわれている。
もともとペアで活躍をしていたが、1990年からはシングルスに転向。1992年のアルベールビル五輪だけではなく、1991年(ミュンヘン)、1992(米国:オークランド)の世界選手権に優勝している。
ヤマグチは、2000年にNHLプレイヤーのブレットへディカンと結婚、現在では、キヨミという日本名を持つ子供がいる。
ところで、日系アメリカ人で始めて五輪でメダルを獲ったのは、日本やドイツが敗戦国として招待されなかった1948年のロンドン五輪。
ハロルド・サカタが重量挙げで銅メダルを獲っている。
その4年後、日本もIOCに復帰し1個の金メダルしか獲れなかったヘルシンキ五輪では、日系アメリカ人だけで3個の金メダルを獲っている。
戦争中、敵国人としてつらい少年期を送った日系人たちが、戦後様々な分野で活躍し始めたのである。
ほかにも金メダルを獲った選手には、1988年ソウル五輪男子バレーボールでエリック・サトウ。
2002年ソルトレークシティ五輪ショートトラックのアントン・アポロン・オーノ(金東聖との争いで米韓関係を悪化させたのは記憶に新しいところだ)、同じくソルトレークシティの男子アイスホッケーでカナダ代表として金メダルを獲ったポール・カリヤ(1994年リレハンメル大会では銀)などがいる。
●金メダルを獲得した主な日系人
1952年 ヘルシンキ大会
競泳男子1500㍍ フォード・コンノ アメリカ
競泳男子100㍍背泳ぎ ヨシノブ・オヤカワ アメリカ
重量挙げライト級 トミー・コーノ アメリカ
1988年 ソウル大会
男子バレーボール エリック・サトウ アメリカ
1992年 アルベールビル冬季大会
フィギュア女子 クリスティ・ヤマグチ アメリカ
2002年 ソルトレークシティ冬季大会
ショートトラック男子1500㍍ アントン・アポロン・オーノ アメリカ
アイスホッケー男子 ポール・カリヤ カナダ
●リンク
カタリーナ・ビットの記憶
女子フィギュア台所事情
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