« 日本五輪招致へ | Main | 千葉すず「復帰」 »

April 06, 2005

少女バレー塾再び

女子の長身選手を英才教育して世界に通用する選手にするため、日本バレーボール協会が大阪府貝塚市のJVAナショナルトレーニングセンターに設置した「バレーボールアカデミー」が2日、開校し、中学1年から3年までの1期生11人が入校した。少子化社会に対応し、積極的に選手を発掘するための異例の試み。アカデミーでは高校卒業の年代までにバレーボールの基礎からじっくり教える。選手は地元の学校に通い通常の勉学に励む。

volley20ballこの話はアテネ五輪直後の、昨年の9月頃から進行していた。
大阪府貝塚市の日本バレーボール協会のナショナルトレーニングセンターに全国から小中学生を集めてトライアウトを実施した。
当時の学齢で小学6年生から中学2年生まで80人が受験、13名が合格、その内11人が英才教育を受けることになった。
6年生3人は秋の時点で身長172センチ。
彼女らでクラブチームを編成し、学校スポーツとは無関係に集中強化をすることになる。

このプロジェクトを聞いて思い出したことがある。
かつての日立(現在は廃部)を率いた山田重雄氏(故人)は、80年代に私財を投げ打って少女バレー塾を作った。
ちょうど、全日本女子が世界の頂点から落ち始め、中国が台頭し始めた時期だ。
山田自身、都立三鷹高校の教員から日立の監督になった経験があり、日本の学校スポーツの限界に早くから気づいていた人物だった。

山田のバレー塾の趣旨は、小学校を卒業したばかりの女生徒を合宿形式で育てていこうというもの。
選手は、合宿所から地元小平の公立中学校に通った。
中学校のバレー部には入らず、日立の体育館で練習に明け暮れた。
チーム名の「エンゼルス」は、直近の五輪の開催されるロサンゼルスから取り、ロサンゼルス五輪に一人でもバレー塾から選手を入れたいと山田がつけた。

果たして、一期生に中田久美がいた。
176センチの大型セッター。サウスポー、勝気な性格。
中田に惚れ込んだ山田は、中学卒業後すぐに中田を日立に入れ、全日本の正セッターにする。
以後10年以上に渡り、中田は全日本の司令塔として活躍していった。
バレー塾からはその後大林素子が出たものの、ほかには全日本クラスの逸材は出ていない。
そして、いつしかバレー塾はなくなったようだ。

山田も1998年に亡くなり、日立で最後の山田の弟子だった吉原知子(日立→イタリア→ダイエー→オレンジ→東洋紡→パイオニア)もこの春選出の全日本メンバーの中に名前はなかった。

女子バレーは、過去の栄光にすがり、目先の結果だけにとらわれて根本的な改革を行ってこなかった結果、シドニー五輪では出場権すら獲れなかった。
メグ・カナに期待の集まったアテネ五輪でも5位タイに終わった。

バレー協会の豊田理事は「これまでは最高の素質を持った選手を意欲的に発掘するのではなく、自然発生的な待ちの姿勢だった」と振り返っている。

ところで、貝塚市のナショナルトレーニングセンターをご存知だろうか?
東洋の魔女を育てた日坊貝塚の体育館のことである。

|

« 日本五輪招致へ | Main | 千葉すず「復帰」 »

Comments

The comments to this entry are closed.