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April 13, 2005

千葉すず「復帰」

競泳の日本選手権(21~24日)にバルセロナ、アトランタの両五輪代表、千葉すずさんが「復帰」する。といっても、200メートル自由形の表彰式でのプレゼンターとして。千葉さんは00年の日本選手権200メートル自由形を制したが、シドニー五輪代表は落選。選考基準の明確化を求めて日本水泳連盟をスポーツ仲裁裁判所に提訴、同年秋に引退した。
昨年からプレゼンター制を始めた同連盟は、今年は優勝回数が多い順に元選手に依頼し、9度優勝の千葉さんから快諾を得た。同種目のある22日が、千葉さんには5年ぶりの舞台となる。(asahi.com)

千葉すずが「復帰」といってもプレゼンターとしての登場だそうだ。
千葉といえばシドニー五輪の選手選考落選を不服として、日本で初めてCas(スポーツ仲裁裁判所)で日本水連と争った選手である。

アテネ五輪200㍍バタフライで銀メダルを獲った山本貴司と2002年に結婚、五輪後は「パートナー・オブ・ザ・イヤー2004」にも選ばれている。
山本は競泳男子のリーダー的存在であり、日本水連としても和解したことを世間に伝えたかったのだろう。

千葉はシドニー五輪の前年、1999年の日本選手権で100㍍自由形54秒99、200㍍自由形1分58秒78の日本記録を出している。
日本水連は指定大会とはしていなかったが、国際ルール(日程的)上はシドニー五輪の対象大会である。
この記録はシドニー五輪では6位と3位に相当する好記録であったことはあまり知られていない。
                      ☆
シドニー五輪で銀メダル2個、銅メダル2個だった日本はアテネ五輪で金3個、銀1個、銅4個の計8個のメダルを獲得。金メダル数、メダル総数とも戦後最多だった。
上野広治ヘッドコーチは、選考基準を明確にしたことを大躍進の第一の理由に挙げた。特に、アテネ五輪の選考基準は過去3年間の世界ランキングを基に厳しいタイムを独自に設定。これを突破した選手は自信を持って大会に臨めた。このほか、昨年の世界選手権で好成績を上げて勢いを付けたことや、選手全員がそろって直前合宿を行い、チームの一体感を高めたことも好成績の一因と見られている。

参考リンク
世界一速く泳ぐ男は誰だ!

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