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July 27, 2005

1984年ロス五輪 水泳代表大麻吸引で永久追放

1984年のロサンゼルス五輪は、ソ連を初めとする東側諸国がボイコットをし、日本は、史上最多のメダルを獲得した大会となった。(その後メダル総数はアテネ五輪に抜かれることになる)とはいうものの、水泳は蚊帳の外の扱いだった。

最大のホープ長崎宏子は、故障とメダルに対する重圧から不調。100m平泳ぎ6位、200m平泳ぎ4位入賞に留まった。最後のメダルのチャンスだったメドレーリレーでも引継ぎミスで失格。
日本チームに重い空気が漂った大会だった。

決勝に進出したのは先の長崎宏子以外には、個人種目には皆無で、男子にいたっては100m背泳ぎで鈴木大地が11位(コンソレーション3位)、100m平泳ぎで高橋繁浩10位(コンソレーション2位)などに入ったのが目立った程度だった。

コンソレーションというのはこの当時行われていたB決勝のことで、予選で9~16位に入った選手による順位決定戦のことだ。
メダルを争う決勝の間にコンソレーションが実施された。緊張感をなくす妙なレースだった。
近年、競泳が面白いのは、日本選手が活躍することもそうだが、コンソレーションをなくし、準決勝を復活させたからであると思う。

ソ連、東ドイツなどがいない中、銅メダルすら獲れなかった日本チームには惨敗の烙印が押された。
五輪も閉幕し、3ヶ月ほど経ったある日、とんでもないスキャンダルが浮かび上がる。
未成年者を含む競泳日本代表の4名の選手が五輪期間中に大麻吸引をしていたというのだ。
その内の一人は、五輪で9位と男子最高の成績を出していた選手。残りの3人は出場したレースにほとんど予選落ちしていた。

惨敗の裏での大麻パーティ。
日本水泳連盟会長をはじめ五輪監督、コーチ陣も監督責任を問われて辞任する大事件となった。
4名の選手のほとんどが、日本記録保持者。
だが、その記録も遡って抹消されることになる。
在籍していた大学も除籍になり、水泳界から追放されていった。

4年後ソウル五輪、ロサンゼルスでは決勝に進めなかった鈴木大地は、100m背泳ぎで日本人選手としては16年ぶりの金メダルを獲得。
大麻事件の早急な厳しい処分が、水泳ニッポン復活をことのほか早くした。

あれから21年。ロサンゼルス五輪で大麻吸引した選手の名前をインターネットで検索してみる。
もう、年齢は40を超えているだろう。
マスターズの大会に参加し、好成績を修め、子供に水泳の楽しさをコーチしている元選手がいる。その一方、全くヒットしない元選手もいる。

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