続・野球とソフトボール五輪種目外へ
2016年夏季五輪日本招致関連はこちらへどうぞ。
2000年シドニー五輪に参加し金メダルを獲ったベン・シーツ(アメリカ・現ブルワーズ)は、野球の五輪除外に次のようにコメントしている。「五輪での経験はすばらしかった。でも誰もそれを目指してプレーしてきたわけじゃない。メージャーリーグでの成功には関係ないことさ」。
巨人の上原浩治投手は、学生時代の国際大会と比べて「確実に欧州勢の力は上がっている。アテネ五輪でもオランダに中盤まで苦しめられた。野球の普及、底辺拡大のために五輪は絶対に必要。選手は五輪を通して世界のレベルを知り、さらに上を目指そうという気持ちになる」またアマやプロの「いろいろな人たちが築いてきたJAPANの歴史が途切れるのは本当に残念」と語っている。
漫画家のやくみつる氏は「参加国がごく限定される上に、その中での対応に歴然とした差がある状態では五輪の沽券が許さない」またルールについても「あれを予備知識ゼロの人たちに理解させる難しさは想像に難くない」と語っている。
このベン・シーツの考えは典型的なアメリカ人の野球に対する考え方だろう。
詰まるところ、アメリカでは五輪の野球を誰も目指していなかったということだ。
最高の野球は大リーグであって、来春のワールドベースボールクラシック(だっけ?)も大リーグの世界戦略の一環でしかない。
とすると、どういう経緯で野球が五輪種目になったか、検証しなければならないだろう。
日本人選手の場合は、アマチュア時代に全日本経験があるかどうか、あるいはシドニーでもアテネでも五輪代表に入ったか否かで、考え方に相違がある。
高卒ですぐにプロ入りした選手と、大学、社会人で国際試合を経験してきた選手とは考え方が異なるのは仕方がない。
学生時代にも、プロ入りしてからも全日本だった上原は、日本生命で3回五輪出場を果たした杉浦正則氏を非常に尊敬しているそうだ。
プロからも執拗に誘われた杉浦は、五輪にこだわり続けた野球人生を送った。
そんな先輩諸氏の築いてきた全日本のブランドを大切にしたい気持ちは、我々も同じだ。
スポーツ貴族とも揶揄されるIOC委員の中には、アジア・アフリカの方で、全く冬季五輪に参加しない国の委員も冬季五輪開催地決定の投票をしている。
彼らにとっては、ウィンタースポーツをするベストな開催地を選ばなくても、どうでもいいことだ。
今回の野球やソフトボールの除外にしても、大部分のIOC委員にとっては、「どうでもいいこと」むしろ、五輪の規模適正化に貢献できたと、自負しているかもしれない。
2008年の北京五輪の馬術会場は最終的に香港に決まった。
中国特別行政区の香港だが、北京からは驚くほど離れている。
実はアテネ五輪前に、野球とソフトはイタリアかオランダで実施すべきだ、とあるところで書いたことがある。
少なくともIOCのプログラム委員の「試合時間が長いのが何よりの問題。大会後、このスタジアムを使って地元で野球を普及させようという姿勢も感じられなかった」との酷評も和らいでいたかもしれない。
ところで新たな競技を五輪正式種目とするためには何が必要だろう。
五輪憲章2条に、五輪正式種目となるための基準は、男子75カ国以上、女子は40カ国 以上、男子は4大陸以上、女子は3大陸以上で競技されていると記されている。
マレーシアで生まれた競技セパタクロー(脚でやるバレー)は、密かに五輪正式種目入りを狙っている。
「競技」として認められることは困難だが、狙っているのは「種目」としてだ。
五輪憲章では、バレーボールとか陸上にあたる「競技」の新設には、国際オリンピック委員会(IOC)総会の承認が必要で、その条件は上記の通りだが、6人制バレーとか男子自由形100メートルにあたる「種目」は、理事会の承認と3大陸の50カ国での普及でいいことになっている。
このため国際セパタクロー連合は、バレーボールの新種目を目指し、1994年10月、国際バレーボール連盟(FIVB)に加盟申請した。いつのまにかバレーボールの中にビーチバレーという種目ができていたように、セパタクロー改め「アクロバレー」の名前で五輪種目化を狙っているのだ。
ロンドン五輪の4年後、8年後、日本の夏季五輪招致のはなしもちらほら出ている。
そのときにアジアのIOC委員の票をまとめたいなら、野球の復活を唱えるよりも、東南アジアで広く普及しているセパタクロー改め「アクロバレー」の五輪正式種目化を訴えたほうがいいのかもしれない。
あるいはカバディーだろうか…。
●参考リンク
野球をやめてラグビーを正式種目にしよう 夏季五輪
テコンドーはどうしてオリンピック種目に残ったのか
野球とソフトボール五輪種目外へ
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