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August 03, 2005

岡崎聡子 またも逮捕

覚せい剤取締法違反(所持)の現行犯で76年のモントリオール五輪の体操に出場した無職中島(旧姓岡崎)聡子容疑者(44)が警視庁池袋署に逮捕され、同法違反罪での起訴もされていたことが2日、分かった。
(中略)
中島被告は高校在学中の76年に15歳でモントリオール五輪に出場し、78年に引退。覚せい剤の使用などで過去に3度、有罪判決を受けている。
[8/2/日刊スポーツ]

あまりうれしくないニュースだ。岡崎聡子がまたも逮捕された。
76年モントリオール五輪の女子体操といってもピンと来ないだろうが、ルーマニアのナディア・コマネチが登場した大会だ。
五輪史上初の10点を連発。その活躍はブームとなった。

彼女の登場と前後するように女子体操は、優雅さや女性らしい美しさを競うのではなく、精密機械のようなアクロバティックな演技が求められるようになっていく。
日本もモントリオール五輪以降、その世界的路線を踏襲していくのだが、岡崎はそのさきがけだったといえる。

岡崎聡子は五輪選考会を1位通過。当時15歳の国学院高校の1年生だった。3位には当時中学3年生の野沢咲子。2位に入ったのは31歳!で野沢咲子の先生だった広中みゆきだったというすごい話もある。

その岡崎はモントリオール五輪本番では個人総合30位。
世界のレベルの高さを思い知ったのだろう。その後すぐに引退。タレントに転向していった。
水谷豊主演の「熱中時代」に小学校の教師役で出演していたのを見た記憶がある。

●モントリオール五輪体操女子個人総合
1.ナディア・コマネチ(ルーマニア)
2.ネリー・キム(ソ連)
3.L・ツリスチェワ(ソ連)
30.岡崎聡子(日本)

シドニー五輪とアテネ五輪と連続して日本女子団体は出場できていない。
モントリオール五輪当時、当然ながらソ連が存在し、中国もIOCに復帰前で、日本女子が体操団体の出場権を獲れないなんて考えられなかった。
東京五輪で女子団体は銅メダルを獲得した日本、その後の順位は下がるばかりだった。
92年のバルセロナ大会で初めて団体出場権を獲得できなかった。
その後、ソ連が崩壊し(92年は合同チームEUN)、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどに分かれて五輪に出場して来るとさらに厳しくなり、2大会連続で五輪出場を逃している。

●体操女子女子団体 日本の順位 出場12ヵ国
76年 8位
80年 -
84年 6位
88年 12位
92年 出場権獲得できず
96年 12位
00年 出場権獲得できず
04年 出場権獲得できず

オリンピックの記憶(9) ナディア・コマネチの伝説

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