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September 12, 2005

金メダルは2004年13→2005年3

カイロで行われていた世界柔道選手権最終日。女子無差別級の薪谷翠が金メダルを獲得した。
日本の女子選手が世界選手権で同級を制するのは初めて。男子無差別級の高井洋平は銅メダルを獲得。妊娠のため代表を辞退した谷亮子に代わって初出場した女子48キロ級の北田佳世はメダルを逸した。
この大会で日本チームが獲得したメダルは男女16階級で11個。男女の無差別級の実施されないアテネ五輪の10個を超えた。

これで7月から続いていた水泳、陸上、柔道の世界選手権が終了した。
アテネ五輪ではこの3競技でメダルを量産したが、五輪から1年、正直に言って十分な結果が出たとはいい難い。
メダル総数は減っている訳ではない。五輪翌年は世代交代もあるので、これで十分との声もある。
3競技の世界選手権で日本チームが獲得したメダル総数は25。アテネ五輪の同競技の総数21、2003年の同世界選手権のメダル総数22をも上回っている。
ところが金メダルは2003年9→2004年13→2005年3と大幅に減少してしまった。
アテネの柔道(特に女子)は追い風に乗って未曾有の金メダルラッシュだったことは記憶に新しい。まるで昨日のコイズミ自民党のようだった。
今回は谷亮子を欠き、他の五輪王者達も相当研究されて金メダル1・・・しかも五輪未実施の無差別級での1である。

アテネ五輪の閉幕時に日本選手団団長を務めたJOCの竹田恒和会長は、JOCが2001年に策定した10年間のメダル倍増計画「ゴールドプラン」を「北京五輪を待たずに3年間で達成できた」と成果を語った。
アテネ五輪で日本は金16、銀9、銅12と史上最多の計36個のメダルを獲得。竹田会長は「これが一過性に終わることなく、長期的なニューゴールドプランを綿密に立てていきたい」と、新たな計画を策定することを明らかにしている。

そもそもゴールドプランとは、1996年アトランタ五輪のメダル総数における日本のメダル獲得率が1.7%だったことから、01年からの10年間で3.5%にするための計画。アテネで25個、北京で32個のメダル獲得を目安としていた。
2005年は北京五輪に向けた新スタート年でもあるのだ。

2004年 アテネ五輪
合計 金13 銀4 銅4 合計21
水泳 金3 銀2 銅4
陸上 金2 銀0 銅0
柔道 金8 銀2 銅0
(男子金3 銀1 銅0)
(女子金5 銀1 銅0)

2005年 世界選手権
合計 金3 銀10 銅12 合計25
水泳 金0 銀5 銅7 モントリオール
陸上 金0 銀0 銅2 ヘルシンキ
柔道 金3 銀5 銅3 カイロ
(男子金2 銀2 銅2)
(女子金1 銀3 銅1)

2003年 世界選手権
合計 金9 銀5 銅8 合計22
水泳 金3 銀3 銅3 バルセロナ
陸上 金0 銀1 銅3 パリ
柔道 金6 銀1 銅2 大阪
(男子金3 銀0 銅1)
(女子金3 銀1 銅1)


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