野口みずきとアシックス そしてオニツカタイガー
25日のベルリン・マラソンで、野口みずきが女子の世界歴代3位でアジア記録となる2時間19分12秒で優勝した。
アテネ五輪の金メダルの時には右足のシューズにキスをした野口は、今回は両足のシューズを肩に掲げた。野口のシューズはアシックス。
▼PHOTO ラッセ・ビレン
似たような光景をかつて見た。
29年前のモントリオール五輪、ミュンヘン五輪に続いて陸上男子5000mと10000mの両種目を制したフィンランドのラッセ・ビレン。彼は両肩に今まで履いていたシューズをのせたまま、ウイニングランを始めた。
ビレンの履いていたシューズは、当時のトップブランド アディダスでもプーマでもない。
オニツカタイガーだった。
職業は警察官だということになっていたビレンだが、実はヘルシンキでオニツカの販売をしているという噂も流れた。まだ、アマチュア規則の厳しい時代だった。
1977年に「ジェレンク」「GTO」と合併してアシックスになったオニツカ。
創業者は鬼塚喜八郎氏。鬼塚氏が開発したシューズがオニツカタイガーだった。
はだしのマラソンランナーとして知られたアベベ・ビキラに、東京五輪でシューズを提供したのがオニツカ。アベベが圧倒的な強さで五輪2連覇し、Onitsukaの質の良さ、名前は世界でも知られていった。
社名がアシックスに変わり、オニツカタイガーは消えていった。
ところが2000年になってオニツカタイガーの復刻版を求める声が出始め、流通を再開。
ハリウッド映画「キル・ビル」にも登場し、一躍注目を集めることになる。
映画と同じデザインの限定品は国内外で完売するという事態が生じた。
世界中のファッションピープルがパリに訪れたら、必ず足を運ぶといわれているコレット。ファッションアイテムはもちろん、本にCD、インテリア、ギャラリー、カフェまであるっコレットにもオニツカタイガーが置かれた。
これによってヨーロッパでもさらに人気が高まり、話題を呼んだ。
オニツカタイガーは昭和の香りが漂うノスタルジックでシンプルなデザインと、ソールが薄くて足にピッタリフィットする裸足のような履き心地がする。
野口みずきはベルリンマラソンに出場する前、神戸市のアシックス社を訪れ、名工・三村仁司氏から特注のベルリン用シューズ2足を受け取った。アテネ五輪用よりも3グラム軽い115グラム。クッション性を重視しながら、スピードを出すため接地面は反発性を重視して硬めに改良してあった。
現在アシックスと契約するのはイチロー、SHINJO、井口資仁、高橋尚子、川口能活、ベロン、レコバなどそうそうたるたる顔ぶれが並んでいる。
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