10月10日 東京五輪開会式
今日10月10日は、41年前に東京五輪の開会式が行われた日である。
私自身は東京五輪の実体験はないのだが、その日本人に与えたインパクトたるや、2002年のW杯でも超えることはできなかったのではないかと思う。
NHKの特番によると、開会式の日、各国選手団は明治神宮外苑、絵画館のあたりから入場行進を始めた。外苑には国立競技場に入れなかった多くの観衆が群がり、外国選手団もそれに手を振るというようなほほえましい光景が見られたそうだ。
2016年以降の東京の再立候補が話題となる中、1964年東京五輪を海外のメディア等が東京五輪をどのように評価しているかまとめてみた。
東京オリンピックは、1964年に開かれた第18回夏季オリンピックであり、アジア初のオリンピック。歴史的に見ると、第二次世界大戦後の荒廃から立ち直り、復興を遂げた日本が取り組んだ国家的イベントであり、日本が国際社会に復帰するシンボルの意味を持った。(ウィキペディアWikipedia)
日本はアジアで初の大会を主催しました。そして、30億ドルがスタジアムと輸送施設に費やされ、群衆は競技を目撃するために群がりました。
インドネシアと北朝鮮の参加が禁止され、南アフリカは招待状をもはや受け取りませんでした、しかし、14のカ国が新たにオリンピックのデビューをしました。
バレーボールと柔道は新種目になりました。そして、オランダ人アントンヘーシンクが柔道無差別級に勝ったときは動揺を引き起こしました。(原文は英語 BBC)
1964年の東京大会は、アジアで開催された最初の大会でした。日本人は広島が原子爆弾で破壊された日、その広島で生まれた坂井義則を最終聖火ランナーとすることによって第二次世界大戦後、彼らの成功した復興を表しました。そして柔道とバレーボールは、オリンピックの新種目となりました。(原文は英語 IOC)
大会の組織は、日本の全体的に「完璧」への執念の印象を与えました。これは確かに歓迎されない態度ではありませんでした。それどころか、実際、これに反して、勇ましくて感情的なオリンピックの微風が大会の2週間日本に吹いたのです。さらに、日本の人々は、大挙して大会に出席することによって、彼らの熱意を示しました。ほぼ200万枚のチケットは売られました、そして、全体として、大会は大成功でした。(原文は英語 KiaNet)
東京オリンピックは日本のスポーツ界に有史以来の大きなインパクトを与えました。まず、金メダル16個を含む計29個のメダルを獲得し、国際競技力のレベルで、いくつもの競技が「世界に追いつけ、追い越せ」を実現し、あるいは実現可能な手応えをつかみました。
オリンピックの翌年、サッカーが先鞭をつけた実業団による日本リーグは、バレーボール、バスケットボールなど多くの競技に広がり、トップレベルの戦力強化に貢献しました。
他方、東京オリンピックのコーチや選手だった人々が、同じくオリンピックの翌年から始めた水泳、体操などを中心とするスポーツのクラブ(スクール、教室)は、たちまち全国に波及し、幼児から家庭の主婦、中高年まで、幅広い人々が参加するようになりました。
(JOC)
▼東京五輪あれこれ
●五輪憲章の「開会式および閉会式」を規定した一文に「聖火への点火につづいて、平和を象徴する鳩が解き放たれる」とある。鳩は開会式には必須であることが謳われているのだ。東京五輪の開会式では8000羽の鳩が青空に放たれた。
●南部アフリカのザンビアという国は、東京五輪閉会式の1964年10月24日に独立を果たす。開会式には英国領北ローデシアとして参加し、閉会式には別の国名になっていたという珍しいケースだ。
●軟骨肉腫という不治の病に冒されながらも、ひたむきに純愛を貫いた道子と誠の青春を描いた、吉永小百合主演の日活映画「愛と死を見つめて」は東京五輪開催中の上映ながら日活映画最大の興行収益を上げたという記録もある。
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Comments
開会式の聖火と鳩がオリンピック憲章に定められていたとは知りませんでした。ちなみに鳩は1920年のアントワープ大会から、聖火は1928年アムステルダム大会から始まったんですよね。
Posted by: radionova | October 12, 2005 12:37 AM