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October 07, 2005

3つの国の代表で3回オリンピックに出た選手もいる

rena去る9月28日、フィギュアスケートの井上怜奈(28)が米国の市民権を獲得した。これにより井上は来年のトリノ五輪に米国代表として出場が可能になる。
井上は1992年アルベールビル五輪にはペア(14位)で、94年リレハンメル五輪には女子シングル(18位)で日本代表として出場。米国代表に選ばれると、日米両国から五輪に出場という極めて珍しい例になる。 井上は2001年シーズンから練習拠点を米国に移し、ジョン・ボルドウィンと組んで活動。04年の全米選手権で優勝したほか、同年の世界選手権では10位になった。
井上はとにかく全米選考会を勝ち抜かなくては、トリノ五輪代表にはなれない。二つの国から五輪出場の「快挙」はそれからだ。

▼フィギュアスケート キョウコ・イナの場合
伊奈恭子は父親の仕事の関係で生後6カ月で渡米、4歳でスケートを始めた。祖父は元外務大臣・国連大使で、1924年パリ五輪に陸上選手として出場(5000メートル7位)した岡崎勝男氏(故人)。祖母・島子さんはテニスの全英選手権出場、母・淑子さんは早大漕艇部OGと、スポーツ一家で育った。21歳の時に米国籍を選び、米国代表 として競技を続けていくことを決意した。1987年には 全日本ジュニアで優勝。その2年後には全米ジュニア も制した。当時は天才スケーターとしてシングルで活躍していたが、層の厚い米国で伸び悩み、ペアの道を選んだ。
1994年リレハンメル五輪9位 98年長野五輪4位 02年ソルトレークシティ五輪5位

▼2カ国で五輪代表メダル4個
アンジェリオ・パリジという柔道家がいた。
1984年のロサンゼルス五輪で95キロ超級で斉藤仁と金メダルを争った選手として記憶にある。このときはフランス代表。
ところが生まれたときはイタリア人だった。幼少時にイギリスに移住。イギリスで柔道を始める。
1972年ミュンヘン五輪の無差別級はイギリス代表として銅メダルを獲得。準決勝でウィリアム・ルスカに敗れた。その後フランス人と結婚し、フランス籍を取得。1980年のモスクワ五輪では95キロ超級で金メダル、無差別級で銀メダルを獲得した。
2回国籍を変更し、4個のメダルを獲った珍しい選手だ。

▼3カ国で五輪代表
ところが3カ国で五輪代表という例もあった。
国際ハンドボール連盟は国籍を変更して世界選手権、五輪などの公式国際大会へ出場することを規制していない。西欧の国が東欧各国の有力選手を招いて代表選手としている例は多々見られる。
2000年シドニー五輪のスロベニア男子代表だったイストック・プッチは、旧ユーゴスラビア代表で1988年ソウル五輪出場銅メダル。1996年アトランタ五輪にはクロアチア代表で金メダル。3回の五輪出場がそれぞれ異なる国の代表でメダルを2個獲っている。

旧ソ連や旧ユーゴスラビアの所属だった選手の場合は、国籍変更といえるか難しい面もあるのだが・・・。

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