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November 22, 2005

浅田真央15歳の壁、伊藤みどり14歳の壁

浅田真央15歳、週末のGPシリーズフランスパリで行われたエリック・ボンパール杯で優勝した。
前回の中国杯は2位、そして今回は世界選手権2位のコーエンを破っての優勝。
SPとフリーの合計182.42は中国杯優勝の世界女王スルツカヤに次ぐ今季GPシリーズでは2番目の高得点にあたる。

そんな浅田(1990年9月25日生まれ)だが、トリノ五輪は年齢制限があり出場権がない。
トリノ五輪出場資格は1990年7月1日までに生まれていることが条件になっている。
わずか87日間の差で浅田真央は4年後、2010年のバンクーバー五輪まで待たなければならないのだろうか。

随分昔、同じような話があった。
同じ名古屋市出身の伊藤みどり(1969年8月13日生まれ)。
当時、不世出の天才少女といわれた伊藤は1984年のサラエボ五輪をめざしていた。
というよりも、伊藤の今後のことを考え、五輪を経験させてやりたいというのが関係者の本音だった。
サラエボ五輪を14歳で迎える伊藤には本来五輪出場資格はなかった。ところが、五輪の年の世界ジュニア選手権で3位以内に入れば五輪出場資格を認めるという特例があった。

日本スケート連盟は伊藤のために1984年の世界ジュニア選手権を札幌市に招致。
伊藤は、首尾よく3位に入り、五輪出場権を手にしたかに見えた。
ところが、当時シニアの世界では不振を極めていた日本フィギュア。
女子の五輪出場枠は僅かに一人しかなかった。(トリノは3人)
全日本選手権で優勝することが五輪出場の条件とされた伊藤は、緊張のあまり転倒。
サラエボ五輪代表は加藤雅子が手にした。

伊藤みどりはその後18歳で出場したカルガリー五輪で5位、22歳で出場したアルベールビル五輪で銀メダルを獲得するのだが、アルベールビルのSPではトリプルアクセルで緊張のあまり転倒。フリーでは、再度挑み成功。五輪の舞台で初めてトリプルアクセルを決めた女子選手となった。とはいえ、SPの転倒がなければクリスティ・ヤマグチに勝てた、と今でも思う。

さて、浅田真央がトリノ五輪に出場する道はないのだろうか。
国際スケート連盟(ISU)のチンクアンタ会長は浅田を素晴らしい選手としてたたえながらも、「特例」は認めない方針を表明している。
だが、関係者は「GPファイナルで浅田が勝てば、風向きは変わる」と希望を捨ててはいない。五輪前の世界一決定戦であるGPファイナルで浅田が優勝すれば、トリノ五輪は「実力世界一」の浅田真央抜きで開催されることになる。
五輪の金メダルの価値を下げないために、浅田真央の特例を認めると囁かれている。

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