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November 27, 2005

荻野正二バレー協会を批判 ただし1998年のこと

国際バレーボール連盟FIVBと日本バレーボール協会は2010年の女子世界選手権の日本開催を決めた。
世界選手権の日本開催は1998年、2006年に続いてのもので、TBSが負担するテレビ放映権にFIVBが合意した模様。
おいおい、また日本開催かよ…。

1998年の世界選手権(もちろん日本開催)開催中、荻野正二が監督、日本バレーボール協会を批判し大騒ぎになったことがあった。その内容は、
「(寺廻)監督は強権的だ、レシーブのできる選手が少ない」
「協会は有料の紅白試合を実施して目先の日銭を稼ぐよりも長期的な視野に立った強化方針を示せ」といった程度のものだった。

この大会、日本は参加24か国中15位、全日本史上最低であり、世界選手権開催国としても史上最低の結果だった。
主将として選手を束ねる立場だった荻野なりの周到に考えた上での発言だったと思う。

197センチと日本人のサイドアタッカーとしては長身ながら、抜群のレシーブ力を誇っていた荻野。この大会の全日本のリベロは、指をけがしたまま大会に入り、オーバーハンドパスが出来なかった。そのため、攻守に荻野にかかる負担が大きくなっていた。
協会批判は、わざわざマスコミ向けに話し、自らを犠牲にして協会に訴えたものだ。

最終日、日本の出ない決勝戦の観客席にユニフォーム姿で並べられた全日本チームの中に荻野の姿はなかった。

世界選手権から2週間後、バンコクでアジア競技大会が始まった。
エントリーされていた12名は世界選手権と同メンバー。
しかし荻野はバンコクへの帯同を許されず、11名で大会に臨んだ。
主将を欠いた全日本は全くいいところなく、3位決定戦で台湾に敗れ、A代表の出場したアジア大会で初めてメダルを失うという失態を演じた。

2005年、3大会連続五輪出場権を獲得できなかった日本バレー界は、監督にバルセロナ五輪代表チーム主将だった植田辰哉を、コーチに同五輪でエースだった泉川を起用。
植田はバルセロナメンバーのひとり荻野の全日本復帰を決めた。荻野にとって98年以来7年振りの復帰となった。

ブラジルからの帰化選手杉山マルコスと荻野が入ることによってレシーブ力が格段にアップし、サーブレシーブがセッターに返ることによってセンターを駆使した多彩な攻撃が展開できる。
10年ぶりのアジア選手権制覇はこの2人のレシーブによるところが多い。
ただし、荻野36歳、マルコス32歳、北京までこの体制でいくのだろうか。

*杉山マルコスは今日まで開催されていたグラチャンには故障のためメンバーを外れていた。
欲を言えばブラジル相手にどういうプレーをするか見たかったネ。

バレーボールもバスケットボールも協会幹部に外部から人材を登用すべきだろう。
競技に情熱があり、顧客マーケティングができ、産業構造に詳しいこと。
エンターテイメント産業の経験し、リピーターとなる顧客に成功した人物であれば更に良い。
年俸3000万を提示すれば海外からも含めて100人は手を挙げるだろう。

●参考リンク
日本またまた立候補 2010年バレー世界選手権 テレビ放映権が頼り
NIPPON アジア王者に返り咲く

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