プロ化とはなんだろうか? bjリーグ開幕
バスケットボール男子の「国内初のプロリーグ」となるbjリーグが5日に東京・有明コロシアムなど3会場で開幕した。都市名を冠した6チームが8回戦総当たりでホームアンドアウエー戦を行い、来年4月のプレーオフで初代王者を決める。開幕戦は東京、仙台、大分が勝利を収めた。仙台、新潟、埼玉、東京、大阪、大分の6チームが来年4月まで各40試合を戦ったあと、上位4チームがプレーオフに進む。
2006年にはアジアで初の男子バスケットボールの世界選手権がさいたま市を中心に開かれる。ところが、bjリーグ所属の選手が日本代表としてこの大会に臨むことはない。
bjリーグとは別に現在、日本バスケットボールリーグ機構(JBL) が主催する1部リーグスーパーリーグと2部リーグ日本リーグがある。こちらは、日本バスケットボール協会傘下にあり、日本代表選手はほぼ(本人の意向によるが田臥を除いて)こちらの選手から選ばれる。
JBLは、企業のスポーツ活動の一環として行われている。バスケットボール界にプロ化の話が出てから10数年が経過したが、スーパーリーグのリーグ運営はアマチュアの形態をとっている。
2004年8月、同機構に加盟するスーパーリーグの新潟アルビレックスと、日本リーグのさいたまブロンコスがJBLから脱退し、プロ組織による新リーグ(bjリーグ)を結成する方針を明らかにした。
同年10月12日のJBL理事会は、新潟アルビレックス及びさいたまブロンコスからの脱退届けを認めない代わりに、さいたま市の世界バスケット選手権の大会終了後をメドに、現在のJBLそのものでプロリーグの実現を推進していこうという計画を明らかにした。
そして日本バスケットボール協会のプロ化実行検討会は2007~2008年度シーズンをメドに現在のスーパーリーグを中心母体としてプロリーグを作ることを目指す答申をまとめた。
さらにbjリーグに参加するチームに契約した場合、日本バスケットボール協会の選手登録が認めないとした。
いわば、世界選手権に出場したい選手は、bjリーグに移籍した場合は、日本代表に選ばないと、宣言した形だ。
▼企業アマ
1964年の東京五輪以降、各種球技に全国リーグが発足した。
当初は社業に影響の無いようにと、純粋なアマチュア主義の確立を目指していた。後にこれは形骸化し、練習が社業に優先するようになったり、競技だけしていても会社員としての給与に影響の無い事が当たり前になってきた。
このような体制を企業アマといい、サッカーに関わらず日本のスポーツ界では広く見られた。旧共産圏や東欧で見られた「ステートアマ」の企業版であるが、企業アマは日本独自に発展したものである。
新日鉄、日本鋼管、住友金属、トヨタ、松下電器産業、日立製作所、各球技の日本リーグのチームを支えていたのは重厚肥大のこうした日本を代表する大企業であった。
特に現役である限りは日本代表の選手は待遇がかなり良かったといわれる。
また、現役を引退してもその際には社業に戻る=終身雇用制のシステムに帰ることができることが、安心して競技に打ち込めた理由としてあった。
▼アマからプロへ サッカーの場合
1969年に設立されたサッカーの読売クラブ(現東京ヴェルディ1969)の出現は、企業アマの形態を崩す一助となった。
試合の結果に対して選手に報酬を出したのである。読売クラブの選手は原則社業がない。彼らがサッカーを職業とし、その対価として給与をもらっていた。
1972年設立の日産自動車(現横浜マリノス)をはじめ、新興チーム、老舗のチームにも事実上のプロ選手が現れる。
こうした形態を日本サッカーリーグ事務局、又日本サッカー協会が追認する形で認めたのが1985年から始められたスペシャル・ライセンス・プレーヤー制度(実質的なプロ契約)である。当初西ドイツのブンデスリーガでプレーし、日本に帰国し古河電工に復帰した奥寺康彦のために用意した制度だったが日産自動車の木村和司も自ら手を挙げた。
しかしながら日立、古河電工などは殆どの選手をアマチュアとして登録していたものの実態は何らかの手当てを受け取っていたといわれている。
こうして選手の実質的な「プロ化」は進んだが、当時実力、運営ともにアマチュアレベルで当時のラグビーなどと比べても人気も高いリーグとはいえなかった。
プロリーグへの待望論は、読売や日産、全日空、ヤマハといった後発チームの方が積極的であり、古河、三菱、日立といった老舗チームは消極的であった。しかし後発チームに古河、三菱からのスタッフを加えたプロジェクトチームがプロリーグ構想を推し進め1991年に日本プロサッカーリーグの構想を発表、1993年にJリーグが開幕した。
▼プロ化とはなんだろうか
バスケットボール界でサッカーにおける木村和司の立場にいたのは1997年にプロ契約をした外山英明(現JBLアイシン)である。
ただ、個人がプロを表明しても運営システムがアマチュアのままではプロ化とはいえない。
では、何をもってプロ化とするか。
JBLのシステムは、やはり企業リーグに過ぎない。興行権は機構が持つ。いわば、どれだけ会場が満員になってもその収入はJBLに入る。所属チームへの分配はまるでないのだ。
チームを抱える企業は、そのチームの運営経費を広告費や福利厚生の一環として処理をする。
バスケット界初のプロチームだった新潟アルビレックス、JBL所属中は、地域企業にスポンサーとして資金面で支えられる一方、新潟県バスケットボール協会からホームゲームのチケットを買い取り独自に販売した。ほかにもリーグ以外の自らの主催する試合を実施するなどして、収入を上げていた。
bjリーグは、チーム名から企業名を外し、地域密着を目指す。各チームが独立採算体制を取り、放映権の営業などをリーグが行って各チームに分配することで戦力の均衡も図ろうとしている。
▼今後の見通し
サッカーのJリーグが成功した理由のひとつに、日本代表の試合の経済規模の大きさが挙げられる。
日本代表が1試合すれば親善試合であっても確実に5万人規模の観客を動員できる。さらにキリン、アディダスといったスポンサーからの収入、これがサッカー協会の潤沢な予算を可能としている。
であるから、Jリーグの興行権を主催チームが持っても、サッカー協会には、問題がない。Jリーグの各チームはそれぞれの営業努力によって主催試合の観客を増やせば、収入も増やすことができる。
バスケットボールもバレーボールも日本代表の試合による収入は、室内競技であるためサッカーに比べれば僅かなものだ。そのため、国内リーグの興行権を各チームに戻すことができなかったのだ。
おそらく、さいたま世界選手権まではJBL、bjリーグが平行して存続するだろう。
bjリーグが盛り上がればスポンサーやテレビはついてくる筈だ。世界選手権のあと、日本代表クラスの選手がbjリーグに大量に移籍していく可能性も大いにある。
bjリーグには、プロとしてのブランドを確立しようと個性豊かな選手を選んでいるチームが多く、大きく化ける可能性を持つ。
そうしたら、JBLがbjリーグに飲み込まれることもあり得るだろう。
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