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November 02, 2005

アメリカが開催を返上したオリンピック

Q.下記の3つの国際競技会に共通することは何でしょうか?

a.1976年デンバー冬季五輪
b.1978年シンガポールアジア大会
c.1986年コロンビアW杯

答え.大会を返上している
実際に開催したのは1976年冬季五輪=インスブルック、1978年アジア大会=バンコク、1986年W杯=メキシコである。

デンバーを擁するコロラド州は、アメリカ独立から100年目の1876年に誕生した州であり、Centenial Stateというニックネームを持っている。
コロラド州の100年祭に、同時に大きなイベントを開こうとと考えていた州民は、1976年の冬季五輪招致を思い立った。シオン(スイス)、タンペレ(フィンランド)、バンクーバー(カナダ)を破り、開催権を手にした。

ところが、地元コロラド州の負担金は500万ドル(当時)と莫大、環境問題さらには冬の観光旅行に対する否定的な影響が懸念されるようになり、市民グループの大会を中止を求める運動は盛んになっていった。
1972年、コロラド州は住民投票で、州の税金が特定の支出を禁止できるよう州法を改正していた。このため、1972年11月15日に大会開催返上を決定する。
これに対し、IOCは1973年2月4日1964年の冬季大会開催地のインスブルック(オーストリア)を代替開催地とした。

アメリカの恐ろしいところは、このとき、1980年の冬季五輪にレークプラシッドが立候補していたことで、1974年10月23日、レークプラシッドは直前になって対立候補のバンクーバーが立候補を取り下げ、無投票で1980年冬季五輪開催を決めたところである。

今でこそ、五輪は世界中で開催の希望があり、1大会に10都市近くが名乗りを挙げる。ところが、商業主義確立されていなかったの70年代は最もその開催が苦しかった時期だ。
同じ1976年の夏季五輪を開催したモントリオールは、10億ドルの赤字を主催者に残し、モントリオール市民は、21世紀になるまでこの赤字を解消すべく税金を払い続けた。

文頭にあるクイズだが、1978年のアジア大会は福岡市が大本命といわれていた。2016年五輪開催地に意欲満々の福岡市だが、実は30年前は、こんな様子だった。五輪評論家 伊藤公さんの文章から引用させていただく。

<<立候補した福岡市のライバルはシンガポールだったが、福岡市の敵ではないと予想されていた。だが、AGF(当時)加盟国が軍配を上げたのはシンガポールだった。これは欧米ばかりに目を向け、アジア諸国の競技力向上を軽視している日本スポーツ界への反感がシンガポールへの支持となって表れたと指摘する識者が多い。
ところが、シンガポールは翌73年10月に財政上の理由で開催を返上。その後パキスタンのイスラマバードが代替地に立候補し、対立候補がないまま74年9月にすんなりと決まったが、これまた財政上の理由で75年6月に返上したため、第8回大会は流会の危機に立たされた。JOCは慌てて福岡市に打診してみたが、同市の熱は既に冷めきっていた。>>

結局1978年のアジア大会はバンコクが引き受け、(実は1974年もバンコク開催だった)大会は無事成功した。
ついでに加えるならば、1986年のW杯は、コロンビアが財政上の理由から大会を返上。
この当時W杯は中南米と欧州の持ち回りが慣例だったため、1970年のW杯開催国のメキシコが再び引き受けている。

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