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November 01, 2005

戦前の五輪金メダリスト全て逝く

1928年アムステルダム五輪の陸上男子3段跳びで、日本選手初の金メダリストになった故織田幹雄氏の生誕100年を記念する展示が10月29日に織田さんの母校の早稲田大学ワセダギャラリーで始まった。
金メダルや遺品など故人をしのぶ品々50点以上が展示され、11月6日まで一般公開されている。

Olympic-Stadium-Berlin6日本人初の金メダリストとして知られる織田さんだが、このアムステルダム五輪には水泳200m平泳ぎ鶴田義行氏も金メダルを獲得しており、3段跳びと平泳ぎはこの時代のニッポンのお家芸だった・・・。というようなことを書いていたら、1936年ベルリン五輪男子200m平泳ぎで金メダルを獲得した葉室鉄夫氏が亡くなったという訃報が入ってきた。

<<36年ベルリン五輪の男子200m平泳ぎで金メダルを獲得した葉室鉄夫(はむろ・てつお)氏が、10月30日午後8時55分、死去した。88歳。福岡・修猷館中学(旧制)から日大予科に進学。35年の日本学生選手権で200m平泳ぎの世界タイ記録をマーク。翌年のベルリン五輪200m平泳ぎで金メダリストになり、女子の兵藤(旧姓前畑)秀子さん(故人)とともに、この種目のアベック優勝を果たした。引退後は毎日新聞運動部記者として活躍した。これで戦前の五輪金メダリストはすべて亡くなった。>>

戦前の金メダリストは全て亡くなったというところに寂しさを感じざるを得ない。
1936年ベルリン五輪ののち、1940年の東京五輪は開催返上→代替のヘルシンキも返上・中止。
戦後初の1948年ロンドン五輪に日本とドイツは招待されず、戦後初めて参加した1952年のヘルシンキ五輪レスリングフリーフリースタイルバンタム級の石井庄八氏が金メダルを獲得するまで16年間金メダリストは誕生しなかった。
その石井庄八さんも1980年、53歳の若さで腎臓がんのため死去している。

ベルリン五輪はヒトラー・ナチスのための国威発揚五輪だったことはよく知られている。
葉室さんが引退後勤務していた毎日新聞にはこんな文章がある。

<<(ベルリン五輪は)政治ショー的要素の強い五輪だからこそ、葉室さんにとっては得がたい体験となった。後に記者として後輩たちにベルリンを伝えることも自分の役割とした。>>

葉室鉄夫さんのベルリン五輪での優勝タイムは2分41秒5。
同種目をアテネ五輪で制した北島康介の優勝タイムは2分9秒44。
68年間で32秒縮めたことになる。
この68年間、五輪は商業主義的には大きく変貌したが、国威発揚の場としては少しも変わっていないような気もする。
「東京五輪再び」が話題になる今、「五輪とはなにか」 検証しなければなるまい。

●戦前の日本人金メダリスト
1928年アムステルダム五輪
(陸上競技三段跳)  織田幹雄
(水泳200m平泳ぎ)  鶴田義行

1932年ロサンゼルス五輪
(陸上競技三段跳) 南部忠平
(水泳100m自由形) 宮崎康二
(水泳1,500m自由形) 北村久寿雄
(水泳l00m背泳ぎ) 清川正二
(水泳200m平泳ぎ) 鶴田義行
(水泳800mリレー) 宮崎康二・遊佐正憲・ 横山隆志・豊田久吉
(馬術大障害) 西竹一

1936年ベルリン五輪
(陸上競技三段跳) 田島直人
(陸上競技マラソン) 孫基禎★
(水泳1,500m自由形) 寺田登
(水泳200m平泳ぎ) 葉室鉄夫
(水泳女子200m平泳ぎ) 前畑秀子
(水泳800mリレー) 遊佐正憲・杉浦重雄・田口正治・新井茂雄

孫基禎氏(Sohn Kee-Chung 2002年没)は、日本統治下時代の朝鮮半島出身の金メダリストであり、その国籍については日韓意見が分かれるが、ここではJOCに拠った。

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