聖火リレーにトーリ監督、トッティ、シェフチェンコ、最終走者は?
トリノ冬季五輪のイタリア国内での聖火リレーが、始まっている。(PHOTO IOCより)
2月10日の開会式で聖火台に点火する最終走者は「ラ・ボンバ」(爆弾男)の愛称で呼ばれ、アルペンスキーで一時代を築いた地元のスター、アルベルト・トンバ氏が有力視されている。
「それは言えない。絶対に漏らせない」。トリノでの五輪イベントに参加したトンバ氏はそう話した。同時に、同氏は「わたしも開会式には会場にいる」と、役割が決まっていることをうかがわせた。
リレーはローマの大統領官邸から始まり、セリエA・ローマのトッティが参加。フィレンツェを通過する14日は米大リーグ、ヤンキースのトーリ監督も登場。
1月26日には1956年コルチナダンペッツォ五輪の50周年を旧会場で祝い、1月29日のミラノでは世界的デザイナー、ジョルジョ・アルマーニ氏やACミランのシェフチェンコら豪華メンバーが参加を予定している。
最終ランナーは、五輪で活躍した選手が務めることが伝統になっている。
1952年ヘルシンキ五輪では、9個の金メダルを獲得しているパーヴォ・ヌルミが最初の有名なスポーツ選手の最終聖火ランナーとして知られる。
1992年のアルベールビル五輪では、将軍といわれたサッカーのミシェル・プラティニが最終ランナーを務めているが、意外なことに1976年のモントリオール五輪出場(もちろんサッカーで)、という実績もある。
アトランタ五輪では震える手で点火した元ボクシングヘビー級チャンピオンのモハメド・アリ(1960年金メダル)、長野五輪では小林幸子ばりの衣装で登場し、度肝を抜いた伊藤みどり(1992年銀メダル)などが記憶に残る。
一方、東京五輪の聖火ランナー、坂井義則は、広島に原爆が投下された1945年8月6日に広島で生まれている。坂井は五輪の理想を象徴、第二次世界大戦後の日本の復興を象徴したといわれている。
1976年のモントリオール五輪では、10代の男女(1人はフランス語を話す地域の出身者、もう1人は英語を話す地域の出身者)は世界でも稀な二重言語社会モントリオールの調和を象徴した。(2人は後に結婚したとの噂があったが、事実ではないらしい。)
●夏季五輪 最終聖火ランナー
1964年 東京五輪 坂井義則(陸上選手、原爆投下の日に広島で生まれた)
1972年 ミュンヘン五輪 Gunther Zahn(中距離走者)
1976年 モントリオール五輪 Stéphane Préfontaine, Sandra Henderson(二人のティーンエイジャー)
1980年 モスクワ五輪 セルゲイ・ベロフ(バスケットボール選手、ミュンヘン五輪の金メダルを含む4つのメダル保持者)
1984年 ロサンゼルス五輪 レイファー・ジョンソン(ローマ五輪の十種競技金メダリスト)
1988年 ソウル五輪 孫基禎(ベルリン五輪マラソンの金メダリスト)と若い3人の陸上選手
1992年 バルセロナ五輪 アントニオ・レボロ(アーチェリー選手、パラリンピック参加者)
1996年 アトランタ五輪 モハメド・アリ(ボクサー、ローマ五輪の金メダリスト)
2000年 シドニー五輪 キャシー・フリーマン(陸上400m金メダリスト)
2004年 アテネ五輪 ニコラオス・カクラマナキス(ウィンドサーファー、アトランタ五輪金メダリスト、2004年アテネ五輪銀メダリスト)
●冬季五輪 最終聖火ランナー
1972年 札幌五輪 高田英基(札幌市内に住む高校生)
1976年 インスブルック五輪 Christl Haas(1964年滑降メダリスト)、Josef Feistmantl(同年、リュージュダのメダリスト)
1980年 レークプラシッド五輪 Charles Kerr(アリゾナの精神科医)
1984年 サラエボ五輪 Sandra Dubravčič(フィギュアスケーター、1980・84年の五輪参加者)
1988年 カルガリー五輪 ロビン・ペリー(フィギュアスケーター、12歳学生)
1992年 アルベールビル五輪 ミシェル・プラティニ(サッカー選手、1976年の五輪に参加)
1994年 リレハンメル五輪 ノルウェーのホーコン・マグヌス皇太子(父親、祖父ともに五輪に参加)
1998年 長野五輪 伊藤みどり(フィギュアスケーター、アルベールビル五輪銀メダリスト)
2002年 ソルトレークシティ五輪 1980年レークプラシッド五輪金メダルのアメリカ・アイスホッケーチーム
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