YAWARA・谷佳知夫妻以外で同一五輪でともにメダルを獲得した夫婦
日本近代五種バイアスロン連合がバイアスロンのトリノ冬季五輪に出場する選手で構成するワールドカップ(W杯)の代表に男子の菅恭司、女子の田中珠美ら自衛隊所属の男女計8人を決め、全員が事実上、五輪代表内定者となった。
ほかの男子は井佐英徳(内定済み)笠原辰己、斉藤慎弥、女子は目黒香苗(内定済み)築館郁代、大高友美。
男子の目黒宏直(自衛隊)は最終選考会の結果が振るわず、妻の香苗と夫婦そろって五輪に出場する可能性がなくなった。
既に内定済みだった目黒香苗の夫、目黒宏直は長野、ソルトレーク五輪出場。トリノでは夫婦同時出場を目指していたものの、かなわなかった。
バイスロンとは、スキーの距離競技とライフル射撃を組み合わせた二種目の複合競技である。静と動を巧みに組み合わせ、競技者に双方の能力を要求する非常に過酷な 競技だ。
日本では事実上自衛隊員に競技者が限られることもあって超マイナー競技であるが、ヨーロッパではこの10年で爆発的な勢いで人気競技に成長したといわれている。
元々距離選手だった目黒香苗は、同僚だった目黒宏直と一緒に練習するようになってから強くなった。
日本でも夫婦そろって五輪に出場した例はいくつかある。
同一五輪に、異なる競技に出場し、どちらもメダルを獲得したのは、アテネ五輪柔道の谷亮子、野球の谷佳知夫妻だ。
夫婦で同一五輪に出場し、同一競技でともにメダルを獲得した夫婦がいる。東京五輪の小野喬・清子夫妻だ。
「鬼に金棒、小野に鉄棒」といわれた小野喬氏は、東京教育大3年で52年ヘルシンキ五輪に出場、次の56年メルボルンの鉄棒で日本体操界初の金メダリストとなった。58年に結婚し60年ローマも出場、33歳、4大会連続出場となる東京五輪では選手宣誓の大役も務め、怪我に苦しみながらも団体金メダルに貢献した。
小野清子さんは東京五輪時に既に子供2人を出産していた。体操界初のママさん選手だった。(小野さん以降いるのだろうか?)ローマ五輪に続いて出場した東京五輪では団体銅メダルを獲った。1982年3月に女性初のJOC委員。1986年から参議院議員、国家公安委員長等を務めた。
ところが海外にはこんな例がある。
前回のソルトレークシティ五輪、バイアスロンに出場したポワレ夫妻は夫がフランス代表、妻はノルウェー代表という異色の夫婦だった。
2人は、ジュニア時代の1992年、競技を通じて知り合ったという。そして2000年5月の結婚の3カ月前、世界選手権で同じ日に優勝。その後、フランスに拠点を置きながら練習、生活のパートナーとして欠くことのできない存在となった。
ソルトレークシティで、妻は15キロで銀メダルを獲得し、夫も12.5キロ追い抜きでこちらも銀メダルを獲得。
夫婦が異なった国の代表となり、ともにメダル獲得したのは五輪史上初の快挙となった。
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