Pickup

September 15, 2017

東京オリンピックは本当に開催されるのか?

東京に続く2024年、28年の二つの夏季五輪開催地が、パリとロサンゼルスに決定した。

カネのかかりすぎる五輪開催に意欲的な都市が激減したことを踏まえ、IOCが2大会の開催地を一度に決めたのだ。

ところが、IOCの中心的メンバーだった人物が、リオデジャネイロ、東京の招致運動の前後に、高額の時計や宝石を購入していたという調査結果が出ており、買収目的の資金が渡った可能性があるとの結論を出したことが分かった。英紙ガーディアンが14日報じた。

前国際陸連IAAF会長のラミーヌ・ディアク(セネガル)は、急死したプリモ・ネビオロ(イタリア)の後を受けてIAAFの会長に就き16年(1999年11月から2015年)に渡って務めた。

2020年夏季五輪の開催地が東京に決まったブエノスアイレスでIOC総会が行われた2013年、10人の陸上競技出身のIOC委員がいた。
ラミーヌ・ディアクにとって彼らを束ねることは多分難しくなかったのだろう。

東京五輪招致の裏金の問題のそもそもの発端は、女子マラソンのリリア・ショブホワ(ロシア)のドーピングが発覚した際に、彼女がロシア陸連に7000万円を払ったことに始まる。
その際に使われたのがシンガポールにあるBLACK TIDINGSの口座だった。

東京と2020年五輪の開催地を争ったのが、トルコのイスタンブール。
陸上競技は、サッカーを除けば、世界的にも最も人気の高い競技だ。
だが、IAAFの財政を支えているのは日本企業だ。
TBSがIAAFの各選手権の独占放送権を持っているほか、IAAF公式パートナー4社(トヨタ、TDK、セイコー、キアシックス)は、いずいれも日本企業だ。
ラミーヌ・ディアクが東京招致に協力するのは明らかかと思われていた。

これに対し、イスタンブールもIAAFに近づいていった。
トルコはそれまでIAAFの公式競技会を開催したことがなかったが、イスタンブールは2012年春に世界室内陸上選手権を開催した。
そして、同じ年に行われたロンドン五輪の陸上女子1500mでは、トルコのアスリ・カキルアルプテキンが金メダル、同じくガムゼ・ブルトが銀メダルを獲った。
トルコにとって陸上競技での金メダルは史上初の快挙だった。

ところが、ロンドン五輪の翌年、アスリ・カキルアルプテキンのドーピングが発覚し、やがて金メダルははく奪されることになる。
その時の経緯はこうだ

IAAFのラミン・ディアク前会長の息子でIAAFコンサルタントだったパパ・マッサタ・ディアクが、ロンドン五輪陸上女子1500mで優勝したアスリ・カキルアルプテキン(トルコ)のドーピング違反をもみ消す見返りに3万5000ユーロ(約450万円)の賄賂を受け取った。
カキルアルプテキンは違反が発覚して昨年(2015年)8月に8年間の資格停止処分と金メダル剥奪が確定した。(毎日新聞16年1月15日)

パパ・マッサタ・ディアクが、ロシア選手だけでなくトルコの選手をも餌にして私腹を肥やそうとしていたのだ。
IAAFは、毎年ダイヤモンドリーグという陸上競技のシリーズを開催している。
五輪や世界陸上とは別に、シーズン中に世界各地を転戦し年間総合王者を決めるというもの。
高額な賞金を売りものとし、スキーのW杯に似た形式だと思っていただければいい。

ダイヤモンドリーグは、その発足当初からスポンサーのサムスンの名を冠していたが、2011年の世界陸上大邱大会が終わると、サムスンは世界陸上とダイヤモンドリーグの両方のスポンサーを降りることになった。

IAAFのラミン・ディアクは、サムスンの後釜となるスポンサー企業を探した。
カネのにおいに敏感な彼は、五輪招致レースをしていたトルコと日本に、「IOC総会での票に繋がるから企業を紹介してほしい」と声を掛けた。

トルコからは世界室内陸上でも協賛した携帯会社のTURKCELL、バスケットボールの欧州チャンピオンズリーグの冠スポンサーであるTURKISH AIRLINESに打診したようだが契約には至らず、日本のキヤノンがIAAFのスポンサーに新たに加わった。

この時のことは英国の高級紙THE GUARDIANにも記事がある。
https://www.theguardian.com/sport/2016/jan/14/bidding-2020-tokyo-olympics-IAAF-scandal
(日本語訳)イスタンブールは、世界陸上か、ダイヤモンドリーグに400万ドル~500万ドルのスポンサーマネーを払わなかったため、トルコはラミン・ディアクのサポートを失った。トランスクリプトによると、日本はこれを支払った。

2012年11月15日 日本の新聞各紙にも以下のような記事が載っている。
キヤノンは14日、来年(2013年)から4年間、世界選手権など国際陸連が主催する15の大会に協賛することを発表した。カメラ、レンズのメンテナンスなどを通じて報道関係者を支援すると同時に、同社の印刷機器などが大会で使用される。

世界陸上はその最初に行われた1983年から、日本企業の協賛を得てきた。が、いずれも長期に渡っておりキヤノンの4年間、しかも2013年~16年の4年間という短期は例がない。
キヤノンが「IAAFの依頼を受けて協賛した」というのは海外メディアも書いている。

2013年6月 地中海競技大会がトルコのメルシンで開催された。
大会中、トルコの陸上選手団に30名の大量ドーピング疑惑が浮上し、トルコ陸連の会長は8月に入り責任をとって辞任に追い込まれていく。

トルコの陸上選手のドーピング騒動が、IAAFの協賛を断ったから明るみに出たのか、それとも表に出るのが必然だったのか、それは判らない。
五輪開催地が決まるIOC総会が9月9日に開かれることを鑑みれば、直前の立候補国のドーピング大量摘発は、招致決定に何らかの影響があっただろうことは想像に難くない。

敢えて書くならば、この時期東京側は、東京からわずか250キロしか離れていない福島第一原発事故由来の汚染水問題が連日テレビを賑わしていた。
その中で、招致を争う国の不祥事は東京側にとって有り難かったのは間違いない。

経緯を時系列にしてみた。

2012年3月
世界室内陸上選手権トルコ・イスタンブールで開催

2012年7月
ロンドン五輪開催
女子1500mで、アスリ・カキルアルプテキン(トルコ)が金メダル

2012年11月
キヤノンがIAAFの公式スポンサーに決定

2013年6月
地中海競技大会がトルコのメルシンで開催
トルコ陸上選手団は30名の大量ドーピング違反

2013年7月
東京 1回目のブラック・タイディングス社へ1億円の送金

2013年8月
地中海競技大会のドーピング違反の責任を取り、トルコ陸連会長が辞任

2013年8月
ロンドン五輪女子1500m金メダルのアスリ・カキルアルプテキンドーピング発覚

2013年9月
パパ・マッサタ・ディアクがパリで高級時計などを爆買い

2013年9月
ブエノスアイレスでIOC総会 五輪東京開催決定

2013年10月
東京 2回目のブラック・タイディングス社へ1.3億円送金
フランス当局の捜査にもとづいて、検察局は2013年9月8日に、ブラック・タイディングス社は、シンガポールのスタンダード・チャータード銀行の口座から8万5000ユーロをパリのある会社宛てに送金し、それがマッサタ・ディアクが宝石店で購入した高額商品の支払いに充てられたことを明らかにした。

2014年1月 
キヤノン会長御手洗冨士夫氏の東京五輪組織委員会名誉会長就任

2014年9月
IAAF 電通との代理店契約を2029年まで延長

2015年8月
ラミン・ディアクIAAF会長を退任

2015年11月
ラミン・ディアクIAAF前会長 ドーピング絡みの収賄発覚

2016年5月
フランス検察
「2020年東京五輪招致」の名目で、ブラック・タイディングス社の口座に2.3億円が支払われていたと公表。

2016年12月
キヤノンIAAFスポンサーを降板

2017年9月
ブラジル司法当局が、東京五輪招致の不正疑惑を巡り、招致委員会から当時IOC委員会で国際陸連会長を父に持つディアク氏に対し多額の金銭が渡った可能性があると結論付けた。

|

September 11, 2017

桐生祥秀の9秒98はアジア歴代4位

9月9日に福井市で行われたインカレで、桐生祥秀が100mに9秒98の日本記録を出した。
この記録は世界歴代99位。
アジア歴代では4位になる。

●男子100mのアジアランキング
①9.91 フェミ・オグノデ (ナイジェリア→カタール)
②9.93 ケマーリー・ブラウン (ジャマイカ→バーレーン)
③9.94 アンドリュー・フィッシャー (ジャマイカ→バーレーン)
④9.98 桐生祥秀 (日本)
⑤9.99 サミュエル・フランシス (ナイジェリア→カタール)
⑤9.99 蘇炳添 (中国)

Embed from Getty Images
2014年仁川アジア大会100m決勝 優勝オグノデ 3位高瀬(右) 6位山縣(左)


アジア国籍の選手で9秒台を出したことのある選手はこの6人しかいない。
が、バーレーンの2人は元ジャマイカ国籍で9秒台を出した時もジャマイカ国籍。
バーレーンに国籍を移してからは、9秒台は出ていない。

オグノデは仁川アジア大会の100m、200mを制した。
100mの優勝タイムはセカンドベストの9秒93。
この記録はかなり将来に渡って大会記録として残りそうだが、サミュエル・フランシスともども元はナイジェリア人。
モンゴロイドで9秒台を出したのは、桐生祥秀と蘇炳添の2人しかいない。

桐生祥秀の9秒98はモンゴロイドとしてのベスト記録。
コーカソイド(欧州系白人)の最高記録はポーランドのマリアン・ヴォロニンが1984年に出した10秒00が長い間破られなかった。
このときの記録は9秒992から切り上げられて10秒00と発表されているのだが、現在もこのような切り上げ方をしているかは不明だ。

現在のコーカソイドの最高記録保持者はフランスのクリストファー・ルメートル。
2010年20歳のときに9秒97、翌年21歳のときに9秒92を出すが、その後は9秒台は出ていない。
全盛期は過ぎたとの声もあるが、昨年のリオデジャネイロ五輪の200mで銅メダルを獲った。
ほかにロンドン五輪の4継リレーの銅メダルも持つ、フランスを代表する陸上界のスター。

コーカソイドのスプリンターというとトルコのラミル・グリエフが記憶に新しい。
先のロンドン世界陸上で200mに20秒09で優勝したあの選手・・・。

もともとはアゼルバイジャン国籍だったが現在はトルコ国籍。
100mの自己ベストは9秒97、この記録はトルコ歴代2位だが、トルコ記録はジャマイカから帰化したジャック・ハーベイの9秒92。(ハーベイはコーカソイドではない。)
200mの自己ベストは19秒88。


インカレで桐生に次いで2位だったのが多田修平。
大阪桐蔭高時代のベストが10秒50だったというが、関学4年のインカレで10秒07。
一方の桐生祥秀は、洛南高時代に既に10秒01の日本歴代2位で走っていた。
東洋大4年のインカレで9秒98。
4年間に0秒43縮めた多田、0秒03縮めた桐生。
多田はが、朝原宣治さんが同志社大時代の24年前に出した関西学生記録、10秒19を超えたのも今年だ。

同い年のライバルがいるのはいいことだ。
2028年のロサンゼルス五輪くらいまで競い合うのではないだろうか。

|

June 25, 2017

アメリカにおいて進むオリンピック離れ?

IOCの最高位スポンサー契約は「TOPプログラム」と呼ばれ、協賛金額は1社年間約100億円以上といわれている。

商業化路線が推進された1984年ロサンゼルス大会以降、五輪マークの独占的使用権など制度が整備され、企業からの協賛金は、各国・地域の国内オリンピック委員会や五輪組織委員会に分配されている。
日本ではパナソニックが1988年から務めていたが、長い間1社のみが続いていた。
ところが、2013年9月に東京五輪の開催が決まってから、ブリヂストン、トヨタが参入、特にトヨタは2024年までの総額1000億円にも上る大型契約と言われている。
これまでの長いTOPプログラムの歴史の中で、自動車会社の契約は初めて。
BMWや日産なども検討していたが、契約に至らなかったほど負担が大きい。
これだけでもIOCにしてみれば「東京を選んで良かった」になる。

一方、コカ・コーラと並んで、長い間五輪を支えてきたマクドナルドが、契約を3年残してTOPから撤退した。
民間企業だから、その理由は様々あるのだろうが、米国のメディアによるとリオ五輪の米国での視聴者は、4年前のロンドン五輪よりもかなり減らしたのが大きいという。

世界地図を見て頂くと判るが、米国とブラジルは経度がかなり重複している。
リオデジャネイロは、米国東部と時差が2時間(サマータイム時を除く)。
昼夜逆転していたロンドンや北京五輪と比べて、条件はかなり良かったはずだが、ロンドン五輪の米国内(NBCテレビ)の平均視聴率は17.5%、平均視聴者数3110万人だったが、リオ五輪の平均視聴率は14.4%、平均視聴者数2540万人は、ロンドンと比べてそれぞれ11%と8%下落した。

確かにグラフで見ると、リオ五輪が低かったのが判る。
Olympicschart

●夏季五輪開会式と閉会式/米国内での視聴者数 
Screenshot_20170628095856

米国において、あるいは世界中どこでも、五輪離れが進んでいるという話がある。

東京五輪では、5競技が追加されて実施される。
野球・ソフトボールや空手はともかく、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィンを実施するのは、これまで五輪を見なかった層にアピールするための追加だ。
さらには、東京五輪で新たに16実施される新種目の中にある3×3バスケットボールは、見事にテレビを意識した新種目だ。

マクドナルドのTOP撤退よりも、ひょっとしたら衝撃的ではないかという話がある。
USOCという組織がある。
JOCと同格の米国五輪委員会のことだが、USOCがこれまで契約していた以下のような多くの米国内向けスポンサーが、この一年で一斉に契約を終了させているのだ。

AT&T(通信)
Budweiser(ビール)
Hilton(ホテル)
Citi(金融)
TD Ameritrade(証券)

いずれも米国を代表するブランドではないか。
(ただし、Budweiserは現在はベルギーの企業の傘下にある。)

AT&Tに代わって、ComcastがUSOCのスポンサーに名乗りを上げているが、この会社はNBC放送の子会社だ。
米NBC放送がIOCと契約した2014・16年五輪の米国向け放送権料は43億8000万ドル。
何とも莫大な金額だが、この金額の12・75%が、実はUSOCに配分されている。

USOCの2016年の税務申告を見てみると、総売上高7億5,600万ドルに対し7,850万ドルの黒字を計上している。
IOCからテレビ放映権の配分として1億7300万ドル、スポンサー契約の配分が1億2100万ドルとある。

USOCは、米国内のスポンサーの動向に関わらず、潤沢な資金が常にあるのだ。


|

June 15, 2017

引き受け手のないオリンピック

パリとロサンゼルスの一騎打ちとなっている2024年五輪招致だが、今年9月にリマで開かれるIOC総会では、2024年だけでなく、2028年大会の開催都市も決めることになりそうだ。

費用負担の大きさから、五輪開催に立候補する都市は減っており、IOCとしては、パリ、ロサンゼルスといった開催実績のある2都市をともに確保したいとみられる。


実はIOCには痛いトラウマがあるのだ。

2011年7月6日 南アフリカのダーバンで開かれたIOC総会のこと。
2018年の冬季五輪の開催地が決まろうとしていた。
立候補していたのは平昌(韓国)、ミュンヘン(ドイツ)、アネシー(フランス)の3都市。
平昌は2010、2014年に続いて3回目の立候補、ミュンヘンは初の夏冬開催を目指していた。

1回目の投票で平昌が63票と過半数を超え開催地に決定。
ライバルと見られていたミュンヘンは25票、アネシーは7票に留まった。

この時点でIOCはまだ甘く考えていた。
ミュンヘンは2022年の冬季五輪立候補するだろうと。
なぜならば2022年は、1972年のミュンヘン夏季五輪からちょうど50周年にあたり、記念大会になると誰もが思っていたのだ。
ところが、ミュンヘンは2013年11月に行われた住民投票で立候補に賛同が得られず招致を断念。

ミュンヘン撤退後に2022年冬季五輪の本命と見られていたオスロも、2014年10月、ノルウェー政府の財政保証が得られないことを理由に冬季五輪招致から撤退した。

そして、2015年7月 クアラルンプールで行われたIOC総会。
中国・北京とカザフスタンのアルマトイの二都市で投票を行い、44-40で北京開催が決まった。

ご存知のように2018年平昌、2022年北京、さらにその間の2020年には東京五輪もある。
極東アジアで五輪が続くことは異常事態であり、IOCは焦っている。
せっかく手を挙げてくれたパリとロサンゼルスを、取り逃がしたくないと思っているのだ。

日本では、今朝、共謀罪が成立した。
我が国の首相は、東京五輪を開催するためには共謀罪が必要と言うが、私が共謀罪のない社会と、東京五輪のどちらを選ぶかと問われれば、間違いなく共謀罪のない社会を選ぶ。

今日の朝日新聞の投書欄に作家の赤川次郎氏の投書が載っている。
赤川さんも、共謀罪がなければ五輪が開けないのなら、中止にすればいいと言い切っている。

Screenshot_20170615155619



●2024年夏季五輪招致

2015年9月 パリ、ロサンゼルス、ハンブルグ、ローマ、ブダペストの5都市が立候補
2015年11月 ハンブルクが辞退
2016年9月 ローマが辞退
2017年1月 ブダペストが辞退

2017年6月 IOC:
パリもロサンゼルスも五輪開催に相応しいので、2024年大会だけでなく、2028年大会も一緒に決めませんか?←今ここ

2017年9月 IOC総会(ペルー・リマ)


|

April 10, 2017

内村航平 日本選手権個人総合10連覇、でも室伏広治はハンマー投げで20連覇だった

体操の全日本選手権が、東京体育館で行われ、男子個人総合は内村航平10連覇を飾り、自身の記録を更新した。

日本体操界初のプロとして、」リンガーハットの所属となった内村航平も28歳。
前人未到の10連覇だが、86・350点の得点は記憶にない。

5連覇を果たした2012年以降の全日本選手権での点数は以下のようになる。
リオ五輪での激闘からまだ回復し得ていないのだろう。

⑩2017年 内村航平(リンガーハット) 86・350
⑨2016年 内村航平(コナミスポーツ) 91・300
⑧2015年 内村航平(コナミスポーツ) 90・550
⑦2014年 内村航平(コナミスポーツ) 90・300
⑥2013年 内村航平(コナミスポーツ) 90・500
⑤2012年 内村航平(コナミスポーツ) 92・650

内村が、全日本選手権を初めて制したのは2008年の19歳のとき。
この年は北京五輪の開催されたあと11月に全日本が行われ、五輪銀メダリストの実力見せつけての勝利だった。
その後内村は、ロンドン、リオ五輪と6回の世界選手権の個人総合を制している。
体操競技における他の選手による全日本連覇は、アテネ五輪団体金メダルのメンバーである塚原直也が1996年~2000年まで5連覇、同じく冨田洋之が2001年~2007年までに4連覇を含む6回の優勝をしている。

体操以外の競技で、日本選手権を長い間連覇した選手には、どんな選手がいるのだろうか。

(陸上)
他の競技を見ると、何といっても陸上男子ハンマー投の室伏広治が際立っている。
1995年から2014年まで20連覇した。
室伏の妹である室伏由佳は、円盤投げで2002年から2011年まで10連覇、父である重信氏はハンマー投げで1974年~1983年まで10連覇を果たしている。
室伏由佳はハンマー投げでも5回の優勝があり、室伏親子としては実に49回目の日本選手権優勝(重信12回、広治20回、由佳17回)を誇る。
こういう陸上一家は、おそらく二度と出てこないだろう。

ほかには、2009年ベルリン世界陸上銅メダリストの村上幸史が、やり投げに2000年~2011年に12連覇を果たしている。 
現役の金丸祐三は、400mに2005年から2014年までに10連覇している。

(レスリング)
五輪3連覇した吉田沙保里は、女子55キロ級に2002年~11年に10連覇を達成。 
同一階級ではないが森山泰年は、グレコローマン82キロ級と90キロ級で、1982〜95年にかけて14年連続で優勝している。 

(柔道)
谷亮子は、女子48キロ級に1991年~2001年に11連覇をしている。 
ロス五輪無差別級金メダリストの山下康裕は、1977年~1985年にかけて9連覇を果たした。
アテネ五輪女子78キロ級金メダリストの阿武教子は、1993年~96年に72キロ超級で4連覇、1994年~2004年までは72キロで8連覇している。

(フィギュアスケート)
浅田真央や小塚崇彦のコーチとして知られる佐藤信夫は、男子シングルに1957年~66年にかけて10連覇した。

(スピードスケート)
現在参議院の橋本聖子は、500m、3000m、1500m、5000mの4種目総合で競う全日本選手権で、1982年~90年にかけて10連覇した。

(競泳)
ローマ五輪女子100m背泳ぎ銅メダリストの田中聡子は、200m背泳ぎで1957年~65年に9連覇した。
1980年に、小学校6年生で200m平泳ぎを制した長崎宏子は、1980~87年に8連覇をした。
1936年ベルリン五輪200m金メダリストの前畑秀子は、同種目で1929~36年に7連覇を果たした。


|

June 12, 2014

サッカー日本代表を巡るおカネのはなし(2) なぜキャンプ地はイトゥに決まったのか

サッカーW杯、日本代表はサンパウロの北西100㎞にあるイトゥをキャンプ地にしている。
ところが、日本代表が3試合を行う都市まではイトゥから1200~2300㎞も離れている。

第1戦 対コートジボアール 試合会場:レシフェまで2144㎞
第2戦 対ギリシャ  試合会場:ナタルまで2324㎞
第3戦 対コロンビア  試合会場:クイアバまで1288㎞

2000㎞を超す距離ってわかりにくいだろうが、稚内と那覇を直線で結ぶと約2460㎞になる。
なんでこんなに移動をするの?

日本と同じC組の他国代表はどうか。
コートジボワールも随分遠くまで試合に行かなくてはならないが、ギリシャ、コロンビアは日本に比べればかなり試合会場から近いところをキャンプ地にしている。

ブラジルは国土が広大で、この時期の気候は様々だ。
イトゥは15~20度の過ごしやすい気候らしいが、試合をする3都市はいずれも25度を超す気温になる。
なぜわざわざ2000㎞も離れた気候も違う土地を選んだのか。

イトゥにキリンのブラジル法人の本社があるからだ。

日本サッカー協会とキリンが蜜月関係であることは、サッカーファンであればよく知っているだろう。
キリンカップ、キリンチャレンジなど国内の代表の試合にはキリンの名前が冠される。

現在のサッカー協会とキリンとのスポンサー契約は、年間15億円。
これは今年終了し、
2015年年4月1日~22年12月31日の7年9カ月は、年間25億円で総額約200億円の超大型契約を結んでいる。
男子のA代表だけでなく、女子のA代表、フットサル、ビーチサッカー、各年代別の代表も支援の対象となる。


日本にビールメーカーはキリン、サントリー、アサヒ、サッポロの4社があるが、キリンホールディングス(HD)
の売り上げは2兆円を超え、そのうち海外での売り上げが40%を占める。
その40%はブラジルと豪州の現地法人によるもの。

4beers

キリンHDは、2011年にブラジルでビールや清涼飲料事業を展開するスキンカリオール・グループを3000億円で買収、BRASIL KIRINとして傘下に収めた。
この本社と工場がサンパウロ州イトゥにあるのだ。

Itu
▲イトゥにあるBrasil Kirinの工場 キャンプ地であるスパ・スポーツ・リゾートの隣にある。

日本代表の強化にキリンには十分すぎるほどお世話になっている。
が、イトゥをキャンプ地に選んだことは納得仕切れない。
グループリーグが終わった時に後悔していなければいいのだが…。


●C組の他国のキャンプ地と試合会場までの距離
コートジボワール代表 キャンプ地 アグアスデリンドイア(サンパウロ州)
①レシフェ 2235㎞
②ブラジリア 930㎞
③フォルタレーザ 2455㎞

ギリシャ代表 キャンプ地 アラカジュ(セルジッペ州)
①ベロオリゾンテ 1219㎞
②ナタル 607㎞
③フォルタレーザ 824㎞

コロンビア代表 キャンプ地 コチア(サンパウロ州)
①ベロオリゾンテ 496㎞
②ブラジリア 851㎞
③クイアバ 1328㎞


参考記事
なぜ日本代表のキャンプ地はイトゥに決まったのか②

|

January 19, 2014

新・冬季五輪の記憶6 夏冬のオリンピックにサッカーW杯まで出場したスヴェン・ベルクヴィスト

1936 Garmisch-Partenkirchen

1936年のベルリン五輪は、ヒトラーが国威発揚のために開催した五輪として、今日に至るまで鮮烈に記憶されている。
サッカー競技に始めて出場した日本代表は、事実上の国際デビュー戦。
極東からやってきた男たちが、優勝候補スウェーデンに3-2で勝利し、「ベルリンの奇跡」と語り継がれている。
負けたスウェーデンにとっても忘れがたい記憶として残っており、「Japaner, Japaner, Japaner(日本人、日本人、また日本人)」というラジオのアナウンサーの連呼は、やがてスウェーデンにおいて、大変驚いたときに、今でも使われるフレーズになっている。
(日本1勝1敗ベスト8、スウェーデン1敗ベスト16 16カ国参加)

このときのスウェーデン代表チームに、凄い選手がいた。
GKのスヴェン・ベルクヴィストがその人だ。
1935年から1943年までスウェーデン代表を務めた。
出場した国際Aマッチ35試合には、1936年のベルリン五輪だけでなく、1938年のFIFAワールドカップ・フランス大会も含まれる。
このときのスウェーデン代表は、1回戦で当たるはずだったオーストリアが、この年3月にドイツに併合され「不戦勝」となるハプニングもあったが、準決勝まで進出、イタリア、ブラジルに敗れたが4位となった。

夏季五輪とW杯の両方に出場した選手は、たくさんいる。
が、ベルクヴィストが凄かったのはこれからだ。

サッカーと並行してアイスホッケー選手としても活躍していた。
その実力は高く、スウェーデン代表としてベルリン五輪の半年前に開催された、ガルミッシュパルテンキルヒェン冬季五輪にも出場した。
面白いことにスウェーデン代表は、予選リーグD組で日本代表と対戦し、2-0で日本を下し順決勝リーグに進んだ。(最終順位6位、日本は0勝順位なし)
さらに、1948年サンモリッツ冬季五輪には、スウェーデン代表監督として出場している。
(9カ国参加4位、*戦争責任からサンモリッツ五輪に日本は招待されていない)


夏冬の五輪とW杯、人類が誇る3大スポーツイベントに全て参加した選手はベルクヴィストだけではないか?
もし他にもいたら教えて欲しい。

|

June 05, 2013

新・五輪招致の記憶(3) 今だから言える 名古屋がソウルに敗れた理由

 「セウル!」
1981年9月30日、西ドイツ(当時)・バーデンバーデンのクアハウスの2階で開かれたIOC総会で、1988年の五輪開催地がIOC会長から発せられた。
会長の名前はアントニオ・サマランチ。
この前年東西冷戦の最中、ボイコットに揺れたモスクワ五輪の際のIOC総会で会長になった男が発したのは極東の半島にある軍事政権下の国の首都で、当然勝つだろう言われていた名古屋市ではなかった。

1980年代、五輪は嫌われ者だったといってもいいだろう。
開催に手を挙げる都市はなく、開催すれば莫大な赤字が残った。
加えて76年にはNZのオールブラックスの南アフリカ遠征に端を発したアフリカ諸国のボイコット、80年、84年は東西冷戦の煽りを食ったボイコットの応酬に見舞われ、3大会続けて五輪は正常な形で開催されなかった。
実際1976年以降1988年までの夏季五輪に立候補した都市はこれしかない。

1976年 ◎モントリオール モスクワ ロサンゼルス
1980年 ◎モスクワ ロサンゼルス
1984年 ◎ロサンゼルス
1988年 ◎ソウル 名古屋
(◎は開催の決まった都市)

1976年大会に立候補した3都市が、結局順番に84年まで開催しているのだが、1984年大会に立候補した都市はロサンゼルスのみ。
莫大な赤字を背負ったモントリオールの記憶が新しく、他に立候補を表明する都市はなかった。
アメリカ連邦政府、カリフォルニア州政府はビタ一文税金を使わないのなら、開催してもいいよとロサンゼルス市に通告した上での立候補だった。
これが今日でも踏襲される商業五輪の原型となるのだが、1988年五輪開催地を決めるIOC総会は、ロサンゼルス五輪開催のまだ3年前のことだ。

当時は東西冷戦の真っ最中。
この前年に開催されたモスクワ五輪は西側主要国のボイコットに遭った。
多くの方は西側のほとんどが参加していないと思われているだろうが、実際にボイコットをした西側の主要国は米国、カナダ、日本と分断国家だった西ドイツ、韓国などだ。
その韓国は全斗煥政権時代。
1979年に朴正煕大統領が暗殺されると、全斗煥は、暗殺を実行した金載圭を逮捕・処刑するなど暗殺事件の捜査を指揮、12月12日に戒厳司令官鄭昇和大将を逮捕し、実権を掌握(粛軍クーデター)。
1980年9月に自ら大統領に就任した。

朴政権は、1990年代初頭に五輪招致の目標を掲げていたが、全斗煥政権は目標を前倒し、1988年夏季五輪招致を決めた。

ソ連、東ドイツなど東側諸国は北朝鮮と友好関係にあり、当時韓国とは一切の国交を持っていなかった。
そのため、1978年にソウルで開催された世界射撃選手権に東側諸国は参加をしていない。
こうした事情から、日本側はソウルが開催地に決まっても、東側の参加しない片肺五輪になるリスクが高く、浮世離れしたIOC委員も、ソウルには投票しないと予想、戦わずして名古屋勝利を誰もが信じていた。
日本のマスコミの中では、最も名古屋五輪に否定的だった朝日新聞ですら10月1日付けの「決定名古屋五輪」の別刷りを用意していた。

ここからソウルの逆転劇が始まるのだが、重要な登場人物が3人いる。

●ホルスト・ダスラー
 ドイツのスポーツ用品メーカーadidas社の社長。
●金雲龍
 韓国の元外交官 世界テコンドー連盟会長。後のIOC副会長。
●瀬島龍三
 戦前は大本営作戦参謀などを歴任し、最終階級は陸軍中佐。戦後は伊藤忠商事会長。


◇名古屋五輪構想◇
1988年10月8日から16日間、名古屋市を中心に東海地方で21競技を繰り広げる。主競技場は、名古屋市の平和公園南部に建設。市の試算では、大会運営費、競技施設費は合計1100億円。
1980年11月に閣議了解された。  
1988年五輪に立候補意志のあった都市はほかにもアテネ、メルボルンがあったが、財政的な理由などで立候補を見送った。
立候補締め切り日に手続きをした都市は名古屋のみ。
ソウルは締め切り翌日にファクシミリで手続き書を送るが、IOCはこれを受け付けた。
ソウルの準備不足は明らかと思われた。


この当時の五輪が政治に振り回されたことは先にも書いた。五輪にプロは原則排除され、自主的な収益モデルを持たない競技団体、選手個人は行政(政府)に頼っていた。
この件についてサマランチ氏は生前こう話している。
『国際スポーツ組織にとって重要なのは「お金」だと、私は思っていた。資金がなければ、何もできないからだ。そして、その資金は、テレビ放送権やマーケティングによって生み出すべきで、政府に依存するべきではないと。政府に頼れば、組織の独立性が失われる。そして政府は、(五輪ボイコットのように)時として異なる方針を持っているからだ。』

政治からの独立のためには五輪の商業化、五輪の商業化のためには世界最高水準の選手の五輪参加が必要。これが1980年にIOC会長に就任したサマランチの考えだった。

サマランチの考えに賛同し、当時確立されていなかったスポーツをビジネスにするモデルを考えついたのが世界最大のスポーツ用品メーカー「アディダス」を創設したアドルフ・ダスラーの長男、ホルスト。
この時代の五輪の画像を見て欲しい。
多くの選手が履くシューズには3本線、ウエアの胸には月桂樹の冠をモチーフにした三つ葉マークがある。
どちらもアディダス製であることを物語る。
アディダス社を率いるホルストは、世界のスポーツ界に絶大な影響力を持っていた。

IOC委員を長く務め、日本サッカー協会の名誉会長でもある岡野俊一郎氏。
岡野氏はホルスト・ダスラーとは旧知の仲で、ホルストが来日すれば必ず岡野氏の自宅を訪れていたという。

名古屋招致はほぼ決まったかのように見えた。
名古屋市の幹部の元には米国3大ネットワーク(ABC、NBC、CBS)の副社長級の人物がたびたび訪れていた。
IOC総会の前にテレビ放映権交渉の予備交渉が始まっていたのだ。
このとき名古屋市は放映権を350億円と見込んでいた。

ところが、あるとき岡野氏は、ホルストが来日して東京にいたはずなのに、自分に連絡してこなかったことに気づいた。
それまでなかったことだ。自分を避けているようだった。
調べてみて、その情報に驚いた。
「アディダスが、ソウルについた」

サマランチは、IOC会長になってすぐに、ホルスト・ダスラーと、IOCのマーケティング・プログラムについて話し合いを始めている。
これがやがて現在も続くIOCのスポンサー制度TOPの元になる。
ホルストは、IOCだけでなく、FIFAマーケティングの仕組みを作り、82年にはマーケティング会社ISLを創業した。(但し2001年に破綻)
こうしたホルストの動きに目を付けたのが、韓国の外交官から国際テコンドー連盟の会長を務めていた金雲龍。
金雲龍はホルストにこう話を持ちかけた。
『ソウルが五輪招致に成功したら、ソウル五輪に関する全ての商業的権利、テレビ放映権、コイン、切手、マスコットの権利を10億ドルで君に売るよ。』
こうしてアディダスはソウルについた
金雲龍とホルストは、前代未聞の買収=サンダーボール作戦を展開、票固めをした。
世界一周の航空券が渡されたとか、現金が飛んだとか様々言われている。

一方東京では、海外との名古屋の橋渡し役を果たしていた外務省の動きが鈍くなっていく。
そして一切外務省から情報が流れてこなくなった。
これを操っていたのが伊藤忠商事会長の瀬島龍三。
韓国大統領の全斗煥や盧泰愚は、瀬島の陸軍士官学校の後輩にあたり、若い頃から瀬島に絶大な信頼を寄せていたという。
瀬島龍三が、日本政府として名古屋五輪招致に関与しないよう、ソウルに勝たせるべく動いた。

1981年9月30日、西ドイツ、バーデンバーデン 第84回IOC総会が始まった。
会場には韓国の欧州駐在大使が勢ぞろいした。
IOC委員の部屋には朝、韓国側から花束が届けられ、活発なロビー活動が繰り広げられた。
一方、名古屋の招致団は総勢49名いたが、在欧州の外交官はゼロ。
余りに華やかさに欠け、JALのCAが数人手伝ってくれた。
IOC総会開幕直前になり、招致団はようやく深刻な事態に気が付いた。
柴田勝治JOC委員長(当時は会長職ではない)がなぜか直前に帰国。
愛知県選出の江崎真澄衆院議員の会場入りも中止になった。
五輪に立候補しているNOCのトップが、IOC総会に参加しない、これだけでも異常な状態であることが判るだろう。
投票結果が発表される数時間前、名古屋市の事務局に現地情報が流れた。
「小差ながら、負ける可能性が高い。」

投票結果は午後3時45分にサマランチ会長の口から発表された。
52-27
シナリオ通りソウルが名古屋を圧倒した。


ソウル五輪開催決定に暗躍した3人のその後について簡単に述べよう。
●ホルスト・ダスラー
 1982年にスポーツマーケティング会社ISLを電通と合弁で設立。
 1987年ソウル五輪の開幕1年半前にガンのため死去 51歳。
 2人の子どもは盧泰愚大統領の招きでソウル五輪の開会式を観戦している。
 なお、スポーツマーケティング会社ISLは2001年破綻。
●金雲龍
 ソウル五輪招致を成功させ1986年からIOC委員、92~96年IOC副会長。
 国際競技連盟総連合会(GAISF)会長。
 93年大韓体育会会長、韓国五輪委員会委員長を経るが、2005年再三の汚職と横
 領の罪により逮捕され辞任。
 韓国語のほか日、英、独、仏、スペイン、ロシア語を操った。(存命中)
 *金雲龍氏は2017年10月3日老衰のため亡くなりました。86歳でした。
●瀬島龍三
 1981年伊藤忠商事相談役、1987年同社特別顧問。中曽根政権のブレーンとして、 
 中曽根康弘首相の訪韓や全斗煥大統領の来日や昭和天皇との会見の実現の裏舞
 台で奔走し、日韓関係の改善に動いた。
 山崎豊子の小説『不毛地帯』の主人公・壱岐正のモデル。
 2005年95歳で死去。

五輪招致史の正体 Kindle版
9rx7krvelbk31vh1376369526

| | Comments (0)

February 15, 2013

IOC理事会は何故レスリングを除外したか② 英国のレスリング選手は一人しかいなかった

ひとつ問題を出そう。
昨年ロンドン五輪を開催した英国は金メダル29個を含む65個という史上最大のメダルを獲得した。では、英国がレスリングで獲得したメダルはいくつだったでしょう?

この問題に答えられる人はいないのではないか。
ロンドン五輪のレスリングは、男子フリースタイル7階級、同グレコローマン7階級、女子フリースタイル4階級が行われた。
英国からレスリングに出場した選手は実はたった一人。
ウクライナから英国に移住した女子選手が55キロ以下級に出場、11位に入ったのみだ。
英国は他の西欧スポーツ先進国と構造が少し異なる、特殊な事情だ、と言われる方もいるかもしれない。

では他の西欧諸国、特に五輪開催国から何人の選手がレスリングに出場したか。

Lon2

これは驚くべき数字である。
スウェーデンやフランスはともかく、スペインやギリシアといった比較的最近の五輪開催国ですら、ほとんど五輪に選手が出ていない。
西欧から、レスリングで五輪に出ようなんて若者はいないのだ。
同じようにシドニー五輪を開催したオーストラリア、次期五輪開催国のブラジルもそうだ。

これは、五輪に出場するハードルが随分と高くなっていることがまず挙げられる。
遡って見てみよう。

●1988年ソウル五輪
男子のみ 
フリースタイル10階級、
グレコローマン10階級
ひとつの国から最大20人の選手が出場可能、合計446選手が出場した。

ところが、1991年にソビエトが崩壊し、世界最大のレスリング大国は15の国に分かれた。
一方で、この頃から五輪の肥大化を阻止しようという動きが強くなる。

●1992年のバルセロナ五輪
男子のみ
フリースタイル10階級、
グレコローマン10階級
五輪に出場した選手:合計360選手。
(*この大会に旧ソ連は合同チームEUNとして参加している。)

●2000年のシドニー五輪
フリースタイル8階級
グレコローマン8階級
五輪に出場した選手:合計320選手。

●2004年アテネ五輪
女子フリースタイル4階級新設 各階級12~14名が出場し、その合計は50選手。
男子フリースタイル7階級
男子グレコローマン7階級
五輪に出場した選手:合計358選手。

●2012年ロンドン五輪
女子フリースタイル4階級
男子フリースタイル7階級
男子レコローマンとも7階級
各階級19名の選手が出場、その合計は399名。

出場できる選手の枠が狭くなれば、出場するための条件も厳しくなる。
ロンドン五輪で、 例えば男子の19名は、前年の世界選手権の上位6、各大陸予選が2×4、残りの5を2回に分けた世界最終予選で争った。
そのため、ロシア、アゼルバイジャン、ウクライナ、ブルガリア、トルコといったレスリング強国がひしめく欧州から五輪へ進むのは至難となっていく。

だが、この点はアジアも同様で、旧ソ連のカザフスタン、ウズベキやイラン、韓国、北朝鮮と競うことになる日本も五輪出場の道は非常に厳しいのが現実であり、好調な女子の一方、男子は24年間金メダルが獲れなかった。

レスリングの五輪除外が決まって、ツイッターやFACE BOOKでもレスリングを残すためのメッセージが拡散されている。
が、この動きの発信源はほとんどが米国発なのだ。
ご存じない方も人もいるかもしれないが、米国は非常にレスリングが盛んで、大抵の高校にはレスリング部がある。
『ビジョン・クエスト 青春の賭け』といったアマレスを描いた傑作映画もあった。
(筆者の友人は米国の高校時代レスリング部で、試合の前日には必ずこの映画を見ていた。)

その一方で、ヨーロッパからこうした発信はまず見られない。
現在のレスリングはアジアとアメリカ、旧ソ連で盛んな一方、IOCの幹部が揃う西欧においては「忘れられた競技」となっている。
そんな彼等にとっては、レスリングが五輪で除外されることは大きな問題ではない。

自分は常々言っているのだが、スポーツ貴族とも揶揄されるIOC委員の中には、アジア・アフリカの方で、全く冬季五輪に参加しない国の委員も冬季五輪開催地決定の投票をしている。
極端なことを言えば、彼らにとって、ウィンタースポーツをするためにベストな開催地を選ぶか選ばないかは、どうでもいいことだ。
今回のレスリングの除外にしても、西欧諸国のIOC委員にとっては、「どうでもいいこと」。
むしろ、五輪の規模適正化に貢献できたと、自負しているかもしれないのだ。

今後のことを考えてみた。

*スポーツ仲裁裁判所に提訴する
レスリング除外問題についてIOCを相手にCAS(スポーツ仲裁裁判所に提訴する)一つの手だろう。
ポイントとしては、なぜ、正式種目除外のような重大な事柄をIOC総会でなく、IOC理事会で決めるのか。


*競技普及のための草の根活動をする
先の表で見てもらったように、レスリングは地域による偏りが大きい。
ロンドン五輪が2005年に決まった際に、なぜ、国際レスリング連盟は英国における競技の普及を考えなかったのだろうか。
次期五輪開催国のブラジルですら、一人しかロンドン五輪に出場できなかった。
西欧・南米・オセアニア等に、米国・ロシア・トルコ・イラン等のレスリング強国による、指導者を派遣しての地道な普及活動が必要だ。


*韓国の陰謀?
レスリング除外に関して「また韓国にやられた」といった書き込みを良く見かける。
たしかにテコンドーの阻害阻止のために、彼等がロビー活動を重視したことは確かだろう。
が、韓国もまたレスリング強国のひとつであり1984年以降の五輪で10個の金メダルを獲っている。
彼等にとってもレスリングの除外は、好ましいことでは決してない。


Lon1

| | Comments (0)

February 13, 2013

IOC理事会は何故レスリングを除外したか① 見えてきた密室会議 

レスリングの五輪除外から1日が経ち、少し内情が見えてきた。
時事通信は、IOC理事会における得票数を公表している。

Tokuhyousu_3

これによると近代五種とレスリングが1回目の投票から5票ずつ獲り、最終決定まで争ったことが判る。
そもそも、今回除外されるかもしれない競技は近代五種かテコンドーではないかと言われていた。
それがなぜレスリングになったか。

テコンドーも近代五種も、度々五輪種目から除外されるという瀬戸際に追い詰められた経験を持つ。
そのため、しばし積極的なロビー活動を展開する。
例えばテコンドーだ。
2018年の冬季五輪を開催する平昌で今年冬季スペシャルオリンピックが開催された。
スペシャルオリンピックと名前がついているが、五輪ともパラリンピックとも関係はない知覚障害者のための大会である。
韓国側はこの大会にIOCのロゲ会長を招き、朴槿恵次期大統領が面会をしている。
ここで「根回し」があった可能性がある。(もっともロゲ会長自身はIOC理事会で投票はしない。)

一方の近代五種。
国際近代五種連合の副会長はサマランチ・ジュニア。
そう、長くIOC会長として君臨し、五輪の肥大化と商業化を大胆に推し進めたあのサマランチ前会長(故人)の子息である。
サマランチ・ジュニアはまだサマランチ前会長が健在の2001年からIOC委員を務めており、IOCは今もサマランチファミリーの影響下にある。
このジュニアがIOC理事会にいれば、票を自分等に都合よく動かすこと(不正という意味ではない)など比較的たやすいと思われる。

そもそも、100人以上いるIOC委員のなかの僅かに15名しかいない理事会で、除外競技を決めること事体非常にナンセンスではないか。
実は、2009年に2016年五輪の正式種目を決める際も同様に理事会の投票のみで決められた。
そのときIOC副会長として参加していた猪谷千春氏は
「プレゼンも含めて総会ですべき」
と指摘していたとされるが、2009年も今回も適わなかった。
これでは、まるでサマランチ時代を髣髴とさせる密室会議である。


ではその密室会議に参加したIOC理事の皆さんを紹介しよう。
名前の後の競技名は、自身がその競技で五輪に出場したか、国際競技団体の役員をしているかを示す。

(副会長)
Ser Miang Ng セーリング
Thomas Bach フェンシング
Nawal El Moutawakel 陸上
Craig Reedie バドミントン

(委員)
John Coates 豪州五輪委
Sam Ramsamy 水泳
Gunilla Lindberg スェーデン五輪委
Ching-Kuo Wu ボクシング
René Fasel アイスホッケー 
Patrick Joseph Hickey アイルランド五輪委
Claudia Bokel フェンシング
Juan Antonio Samaranch Jr 近代五種
Sergey Bubka  陸上
Willi Kaltschmitt Luján テコンドー

ご覧頂いたようにレスリング関係者はいない。

| | Comments (0)