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January 11, 2006

とかく五輪はカネ次第 スポンサー様万歳

長野五輪の年に「ジッパーアイが表彰台に上るのを見たくない」とヨーロッパジャンプ界の実力者が話した、という話を昨日書いた。これを聞いたのはSAJの役員の方なので間違いないはなしだ。
こうした露骨な人種差別発言はスポーツ界にいくらでもある。

ヨーロッパ人は、スキー競技が自分たちの文化だという自負がある。
先に開催されていたジャンプ週間は、もともとドイツとオーストリアによる対抗戦をその起源とする。
観客は延べ20万人以上、ドイツのテレビ視聴率は40%を記録するというから、その関心の高さは、日本でいえばサッカーW杯の予選並みということになる。
最新の数字ではないのだが、W杯ジャンプの放映権を持っているドイツの民放は、ドイツスキー連盟と3年間で4850万マルク(約26億7800万円)の放映権契約をしていたそうだ。
こうしたテレビ放映権の圧力がスポーツのルールを変えてきている。
極端な言い方をすればドイツのテレビ番組の視聴率のために、ルール改正=日本叩きにあったのだ。

ジャンプ選手のスキー板が長野五輪以降、身長+80センチから身長の146%に変更された。
長身選手がより有利な長い板をはくことができるようになった。ヨーロッパ選手に比べて背の低い日本人を集中的に狙ったルール改正だ。
大昔は身長+85センチの時代もあった。が、V字ジャンプが普及し、5センチ短くなり80センチに、そして146%ルールの導入に至っている。

ルールが改正されたばかりの頃、原田雅彦は雑誌「ナンバー」の中でこんな例えをしている。「短い板はショートアイアン。扱いやすく、ミスの確率は低いけれど、飛距離には限界がある。長い板はロングアイアン。使いこなすことは難しいけれど、練習を重ねていけば、ロフト通りきちんと当たるようになる」。
ただし、ルール改正は様々なところにも及び、体重制限ルールも適用されている。 これは体重を軽減する為に選手達が行う過剰なダイエットを止めさせるためのルールで、身長に対しての下限体重制限を決められた。このため、体重不足で失格になる選手も出た。

64さらにジャンプスーツも、例えば長野五輪の頃は、ふっくらとしたスーツを誰もが着ていた。風を受けやすいものが採用されていた。
が、現在の規則では、身体にフィットしたものに制限され、さらに首周りのゆとりすら認められなくなった。
今季のジャンプ週間でヤンネ・アホネンとともに優勝を分け合ったヤクブ・ヤンダ(チェコ)。
一昔前の飛び方と言われる深く倒れ込む空中フォームで飛んでくる。
かつての葛西紀明や船木和喜のスタイルだ。
オーストリアのインナウアーコーチが驚いて言ったという。「飛び出し速度が抑えられ、風を受けるスーツも細身になった時代に、日本人のようなスタイルでよく飛距離を出せるものだ」
このヤンダを指導しているのが、ソルトレークシティ五輪で日本を指導したバイツ・コーチ。皮肉なはなしだ。
トルシエ監督どこかの国を率いて、日本式のサッカーでW杯でベスト4に行くようなものだろう。

昨年12月に浅田真央がファイナルで優勝したフィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ。
フィギュアスケートは、毎年世界選手権を開催しているのにも関わらず、このGPシリーズは1995年に始まった。

非常にテレビ向きのスポーツであるフィギュアスケートは、多くのスポンサーを呼び込み、高額なテレビ放映権を得やすい。
GPシリーズには、ISU(国際スケート連盟)の財政基盤を安定させる目的も見え隠れする。
ISUとしては、華のある選手を長い間支配下に置いておきたい思惑がある。
ISUはフィギュアスケートだけでなく、スピードスケート、ショートトラックをも管轄している。
フィギュアによって得た財力で、ショートトラックも運営しているのだ。

にもかかわらず、リレハンメル五輪の金メダリスト、オクサナ・バイウル(ウクライナ)、長野五輪の金メダリスト、タラ・リピンスキー(アメリカ)のように15歳で金メダルを獲ってすぐにプロに転向してしまっては、ISUの思惑に問題が生じてしまう。

そのため五輪には年齢制限を設け、若くして参加できないようにし、GPシリーズにはジュニアも設けてジュニア、シニアと10年間はISUにお世話になるというシステムを作っている。

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