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January 06, 2006

日立製作所はスポーツをどう捉えているのだろうか

J2に降格した柏レイソルがチーム崩壊の危機に陥っている。
FW玉田圭司に清水から正式に獲得オファーが届いたことが明らかになった。他にもMF明神智和のG大阪移籍、DF土屋征夫の大宮移籍が決定的になるなど、主力の大量流出は避けられない状況。
今月下旬の始動を前に1年でのJ1復帰に早くも暗雲が垂れ込めている。

新潟が昇格してくるまでJリーグで観客動員NO.1であった浦和レッズも1999年年間順位で15位となり、J2へ降格したことがある。
このときは全ての選手が浦和に残留した。
岡野雅行が選手を引き止めたという。
しかし柏レイソルの場合は、引き止める選手も、フロントもいないようだ。

1965年から始まった日本サッカーリーグに初年から参加していた、古河工業(現ジェフユナイテッド千葉)、三菱重工業(現浦和レッドダイヤモンズ)、日立製作所本社(現柏レイソル)の3社(チーム)は丸の内御三家と呼ばれていた。とはいうものの、古河、三菱に比べ、日立の獲得タイトルは少なく、逆に2部降格回数は最も多かった。
そして、日本サッカー協会、日本リーグに対する発言力も低かった。

現在の日本サッカー協会の幹部にはこうした名前が連なる。社員とはサッカー部の在籍のないという意味だ。
サッカー協会会長 川渕三郎氏(早大→古河)
前会長 岡野俊一郎氏(東大→岡埜栄泉) 岡野前会長は東京の老舗和菓子店の社長が本職だ。
元会長 長沼健氏(中大→古河)
現副会長、FIFA理事 小倉純二氏(早大→古河社員)
現副会長 釜本邦茂氏(早大→ヤンマー)
副会長 Jリーグチェアマン 鈴木昌氏(東大→住友金属社員)
副会長 野村尊敬氏(チチヤス乳業社長) →この人だけはどうして副会長なのか、わからなかった。

これを見ていただくと、早大閥、古河閥であり、協会トップに日立の関係者はいないことは一目瞭然だ。
80年代からJリーグ発足前までの時期、各社が積極的に取り組んだ「企業アマ」の体制確立も日立は遅かった。
読売クラブ、日産自動車といった新興勢力は早くからクラブの体制を採っていたのはいうまでもないが、日本リーグのチームの中でも日立が最も保守的であったのではないか。
この保守性があだとなり、御三家のうち日立だけがJリーグ開幕時に参加できないとの事態も生んだ。
現役ブラジル代表だったカレカを呼び、Jリーグ昇格を果たしたことはあまりに有名だが、その前に補強したのは日産を戦力外になっていたレナト等だった。
Jリーグへの意気込みも日立にとってはその程度だったと推測される。

1994年JFLからのJリーグ昇格レースも、磐田(旧ヤマハ発動機)、平塚(現湘南 旧フジタ)の遥か後塵を拝した。(JFL5位)、そして95年になってやっと昇格を果たした。

丁度この頃、女子バレーの超名門日立ベルフィーユ(前身は日立武蔵→日立)を率いていた山田重雄(故人)は、日立バレー部のプロ化を日立本社側に迫っていた。

日立バレー部は、東京五輪の年、1964年に日立製作所武蔵工場バレーボールチームとして誕生した。
都立三鷹高校の教員だった山田が日立に働きかけ創設、1968年のメキシコ五輪では早くも日立主力の全日本チームを率い、決勝でソ連に敗れたものの、銀メダルを獲得した。
そして、1976年モントリオール五輪では、1セットも落とさない圧倒的な強さで金メダルを奪回した。
モントリオールでは韓国が銅メダルを獲ったのだが、日立製作所の売り上げは韓国の国民総生産をも上回るのだから当然、とも言われた。(当時はGDPでなくGNPが用いられた)
日立製作所は、当時もそして現在も、超特大企業であることに変わりはない。

日本リーグで18回、黒鷲旗全日本選手権(旧都市対抗)でも17回の優勝歴を誇り、日本女子バレー界を代表する強豪チームであり、日立製作所運動部で最も成功したチームだったのが日立バレー部だった。

世界のバレー界のプロ化の流れの中で、強引に日立バレー部のプロ化を進める山田に対し、日立本社はこれに徹底抗戦する。やがて、山田のセクハラ疑惑が週刊誌に登場し、山田は失脚する。
それでも日立の主力9選手はプロチーム結成を求めて、日立本社に退部届けを提出した。
日立本社側はプロ化騒動の中心選手だった大林素子、吉原知子を解雇し、事態の収集を図った。
他の選手はバレー部に復帰し、Vリーグでプレーを続けるが、そのドタバタの後遺症で1996-1997年シーズンには日本実業団リーグ(日本リーグの下部組織)に降格した。
日立本社にいた東大バレー部出身で、バレー部の唯一の理解者だった役員が定年を迎えると、本社内のバレー部不要論が一気に噴出。支援体制の限界を理由に2000-2001年のシーズンを最後に日立バレー部は廃部となった。

日立製作所の2001年3月期の定時株主総会ではこんなやりとりが記録されている。
バレーボール部の廃部についての質問に対し、当時の副社長は「栄光の時代を追いかけているうちに費用がかさむようになった」などと述べている。「サッカーの柏レイソルに資金を使うのはやめるべきだ」との声には、その副社長は「一つの意見として承っておく」と答えている。

このプロ化騒動の頃、大林素子はよくこんなことをいっていた。
「柏レイソルの選手たちが、あんなにたくさんの年俸をもらっているなんて信じられない。バレー部の選手との所得格差が大きすぎる。柏レイソルは日本のサッカー界で頂点から遥かに下にいる。私たち女子バレー部は日本でトップにいる。トップにいる私たちがプロになれなくて、強くもないレイソルが何故プロなのか」

W杯初出場をめざして上り調子だったサッカー界。
金メダルは遠い過去の夢物語になってしまっていた女子バレー。
90年代のサッカーと女子バレーの関係はこんな感じだった。
「日立本社も時流に乗り遅れまいとレイソル支援に必死だった」 とまとめてしまうことは簡単だ。
おそらく、日立製作所という企業の体質なのだろう。
今、当時のバレー部同様、柏レイソルも存在危機にある。

日立製作所にとって、柏レイソルとはなんなのだろう。
チーム名に企業名を入れないのはJリーグの理念だが、柏レイソルの法人名は株式会社日立柏レイソル。
その前は株式会社日立スポーツとも名乗っていたが、読売ヴェルディの名前に拘っていたかつての東京ヴェルディを思い起こす。

もう2件 事例を紹介する。

バレーボール女子Vリーグの茂原アルカス廃部へ

バレーボール女子のVリーグ茂原アルカスが廃部となることが明らかになった。
経営環境が厳しくなったことが廃部につながったといい、監督、部員20人の引受先を探していく、という。チーム全体での他社への移籍も視野にある。人件費など年間1億5000万円の運営費がかかっていたという。
茂原アルカスは、日立茂原女子バレーボール部として1971年創立された。
運営主体が、日立製作所から日立ディスプレイズとして分社されたときに、あえて日立という冠を取って、地域密着型チームをめざした。アテネ五輪で女子バレー史上初のママさん選手だった辻知恵が在籍していたほか、昨年のインターハイでは、アルカスの体育館がバレーボールの会場となった。


浦和レッズ 三菱自動車から独立へ

浦和レッズが、親会社の三菱自動車からの出資比率を減らす自立運営を目指している。 
「独立して地域社会に貢献したい」として、浦和レッズの犬飼基昭社長が5億円の第三者割当増資の方針を三菱自動車に示している。
現在は資本金1億6000万円のうち50.6%を同社が出資しているが、増資分は埼玉県や地元企業中心に引き受けてもらい、三菱の出資比率を30%台に下げたいというもの。
増資で得た資金はレッズが独自の判断で、戦力アップや経営強化に回せるというわけだ。

浦和レッズは昨年3月、三菱自動車との損失補てん契約(赤字の時は補てんしてもらい、黒字なら利益分を戻すというもの)を解除し、クラブ運営を独立採算制にしている。
親会社の支配が続けば、地域密着にならない。
企業1社の資金に大きく依存するクラブ運営は、親会社の経営状況や判断に振り回されがちになる危険がある。

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Comments

レッズの独立、流れそうな雰囲気です。
三菱内部では増資分引き受けてむしろ支配力を強めろって声すらあるそうで・・・
なんかダイムラー(でしたっけ?)撤退から風向きが変わったのをレッズ側が読めてなかったみたいな話をどこかで(失念)読みました。

Posted by: TpM | January 06, 2006 at 05:13 PM

TpM様

毎度コメントありがとうございます。

レッズの意向に対し、三菱自動車は「地域活性化を目指す流れの中で、自立は重要」と理解を示す一方、「増資分をすべて三菱で引き受け、支配力を強めるべきだ」との意見もやはりあるようです。

例の不祥事で(ダイムラーも撤退しましたね)傷ついた企業イメージ回復にレッズ人気を活用したいという意図のようです。

Posted by: 管理人 | January 06, 2006 at 07:59 PM

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