トリノにあるサッカースタジアムのはなし
間もなく開幕のトリノ五輪、トリノにも1990年イタリアワールドカップのために作られた競技場がある。
イタリアワールドカップは西ドイツが優勝し、ブラジルと並ぶ3度目のワールドカップ制覇となった。西ドイツの監督を務めたフランツ・ベッケンバウアーは、マリオ・ザガロに次ぎ、選手と監督の両方でワールドカップ優勝を成し遂げた人物となった。
会場となった競技場は次の12である。
オリンピコ・スタジアム (ローマ) 81,000人 準決勝、決勝
サン・パオロ・スタジアム (ナポリ) 74,000人 準決勝
デッレ・アルピ・スタジアム (トリノ) 71,000人 準決勝
サン・ニコラ・スタジアム (バーリ) 56,000人 3位決定戦
アルテミオ・フランキ・スタジアム (フィレンツェ) 41,000人 準決勝
ジュゼッペ・メアッツァ・スタジアム (ミラノ) 75,000人 開会式
ルイジ・フェラーリス・スタジアム (ジェノヴァ) 35,000人
レナト・ダッラーラ・スタジアム(ボローニャ) 39,000人
マルクアントニオ・ベンテゴディ・スタジアム (ヴェローナ) 42,000人
フリウリ・スタジアム(ウーディネ) 38,000人
サントエリア・スタジアム (カリャリ) 40,000人
デラ・ファヴォリータ・スタジアム (パレルモ) 36,000人
オリンピコは1960年のローマ五輪、1987年の世界陸上のメイン会場となった競技場であり、ローマやラツィオのホームとして日本でも広く知られている。
トリノにはデッレ・アルピ・スタジアム(Stadio Delle Alpi)がある。正確にはトリノ郊外にあるスタジアムで、ユベントスとトリノのホームスタジアムでもある。
"Stadio Delle Alpi"を直訳すると、「アルプスのスタジアム」となる。
収容人数は71,012人。1990年イタリアワールドカップのために新設された。
3層の観客席を覆うアルミ合金製の屋根をワイヤーで吊り支えるという非常に凝った構造で、フランス大会のメイン・スタジアムとなったフランス競技場のモデルにもなった。
日本からも多くの自治体関係者が視察に訪れ、日韓のワールドカップスタジアムにも非常に影響を与えたスタジアムだ。
建設条件の中に総合運動場とする必要があったため陸上トラックが併設されていたが、今までに公式大会で使用されたことは一度もないといわれている。陸上用のサブトラックがないため陸上の国際大会には不適格ということらしい。
しかし陸上トラックをつけなければ建設費の融資が受けられなかった。
ユベントスのホームでありながらほとんど満員になることはない。
郊外にあり交通の便が悪い、周辺の治安が悪い、陸上トラックがあるためスタンドから見づらい。
巨大な屋根のせいで陽当たりが悪く芝が生育しないのでピッチコンディションは常に最悪などといわれていた。
そのため、ユベントスは新スタジアム建設のために、デッレ・アルピの所有者であるトリノ市と長い折衝を続け、ようやく2000年に協議が終了。その結果、デッレ・アルピは99年間ユベントスの所有となった。
これは、維持費や改装費はユベントス側が全額負担する代わりに、どのような利用も可能で、そこでの利益も保証されるというものだ。
これにより、ユベントスは現在のデッレ・アルピを取り壊し、新たにサッカー専用スタジアムの建設を決めた。
収容人数は約7万1千人から約4万1千人に、陸上トラックを取り除き、格段にコンパクトに、観やすくなる。
2006年には竣工予定だったはずだが、どこまで工事が進んでいるだろうか。
なんせイタリアだから。
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