グルノーブルの鈴木恵一 サラエボの黒岩彰 そしてトリノの加藤条治
日本勢は1984年のサラエボ五輪以降、500mでメダルを獲ってきた。
五輪で室内リンクが初めて使われたのはカルガリー五輪。それまで、天候に泣かされてきたスピードスケートにとって革命的なリンクであった。
古くは世界選手権には何度も勝ちながら、64年、68年、72年と五輪に挑戦し続け、ついにメダルに届かなかった鈴木恵一氏、あるいは84年の黒岩彰氏の時代が室内リンクだったなら五輪史は確実に変わっていた。
特に1968年グルノーブル五輪の鈴木恵一氏は、誰もが金メダル候補と目していたものの、悪天候で氷の状態が悪く、抜群のコーナリングが生かせず、体格で勝るケラー(西独)が金メダル。鈴木氏は8位に終った。
室内リンクの登場は、好記録が出やすい点、天候によるスケジュール変更があり得ない点が、テレビ放映に歓迎されたと、同時に体格で劣っていた日本人選手からすれば実力どおりの結果が出るようになり、6大会連続のメダル獲得につながっていった。
以下、札幌五輪以降の男女の500mの優勝タイムを見て欲しい。
基本的に近年になるほど、そのタイムは良くなってきている。
レークプラシッドの5冠王ハイデン。彼は、五輪記録を1秒以上縮め、4年後のサラエボでもその記録は破られなかった。
ハイデンの記録が当時としては超人的だったのも事実だが、サラエボの500mの当日、リンクには吹雪が舞い、何と競技開始時間が6時間も遅れている。
日本のエースでメダル候補だった黒岩彰は、その6時間中多くのマスコミを引き連れ、すっかり精神状態を乱し、惨敗した。そうした荒れた環境下でのレースだったため、優勝タイムもハイデンの記録を下回っている。
さらに最初の本格的な室内リンクで行われたカルガリー五輪で優勝したメイのタイムも、当時としては驚異的な36秒台であるが、メイ自身が屋外で行われたアルベールビル五輪でこの種目連覇した際に、カルガリーでの記録は破ることができなかった。
そして、長野五輪の前年、突如現れたスラップスケート。
ジャンプ競技でいうV字飛景のようにあっという間に主流になったのである。
今朝のトリノ五輪の加藤条治だが、1本目に確かに前の組で転倒があり、製氷で待たされたことは不運だと思う。
が、1本目も2本目と同様の35秒19で滑ったとしても、合計1分10秒38、ジョイ・チークには及ばなかったことになる。
●スピードスケート 500m優勝タイムの推移
1972年 札幌五輪
男子 ケラー(西独)39.44
女子 ヘニング(米)43.33
1976年 インスブルック五輪
男子 クリコフ(ソ連)39.17
女子 ヤング(米)42.76
1980年 レークプラシッド五輪
男子 ハイデン(米)38.03
女子 エンケ(東独)41.78
1984年 サラエボ五輪
男子 フォキチェフ(ソ連)38.19
女子 ローゼンブルガー(東独)41.02
1988年 カルガリー五輪
男子 メイ(東独)36.45
女子 ブレアー(米)39.10
1992年 アルベールビル五輪
男子 メイ(ドイツ)37.14
女子 ブレアー(米)40.33
1994年 リレハンメル五輪
男子 ゴルビョフ(ロシア)36.33
女子 ブレアー(米)39.25
1998年 長野五輪 長野以降2本滑ることになる
男子 清水宏保(日)1分11.35
女子 ルメイドーン(カナダ)1分16.60
2002年 ソルトレークシティ五輪
男子 フィッツランドルフ(米)1分09.23
女子 ルメイドーン(カナダ)1分15.64
2006年 トリノ五輪
男子 J.チーク(米)1分09.76
女子 ?
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