ジェレミー・ウォザースプーンはダン・ジャンセンになれるだろうか?
190センチを超える長身が160センチ強の清水宏保に敗れた。
1998年長野五輪のウォザースプーンは500mで銀メダルを獲ったが、30センチも背の低い清水宏保に完敗だった。
スタートから5歩めだったろうか。ソルトレークシティ五輪500m1日目のウォザースプーンは、左足が氷にひっかかり僅か数秒で終った。金メダル候補のあっけない退場に本人が一番驚いたのだろう、顔色が真っ青だった。
それでも2日目の500mに現れ、金メダルのフィッツランドルフよりも銀メダルの清水宏保よりも早いベストタイムを出した。
「重圧に負けてダメだった男」カナダの新聞に書かれたそうだ。心理学者のカウンセリングも受けた。
「自分のテスト」3度目の五輪になるトリノをそう位置づけていた。
ところが、トリノ五輪の前哨戦、世界スプリント選手権が1月、オランダで開催された。
500m1日目、最終組に登場したウォザースプーン スタート直後に、バランスを崩して手を氷に付いてしまった。 態勢を取り戻して最後まで滑走したが、スタートの大失敗は致命的だ。49人中最下位の45秒730。無言のまま控室へと消えていった。
W杯通算勝利数は現在、57勝。歴代男子1位の実績がある。
オランダにあるプロチームに所属し、200,000ドルの収入がある。
ウォザースプーンが目標にしてきた選手がいる。何度も金メダル候補と騒がれながら、転倒などでメダルに手が届かず、「五輪に見放された男」とも形容された米国人。「若いころ、地元カルガリーのリンクで練習する姿をよく見ていた」選手。ダン・ジャンセンだ。
1回の五輪で5個の金メダルを獲った男もいれば、1個の金メダルを取るのに4回の五輪に出た男もいる。
それがダン・ジャンセン。
五輪の歴史において、ダン・ジャンセンは悲劇のヒーローとして記憶に残っている。
1988年、2月14日。
米国ミルウォーキーの病院でジェーン・ジャンセンが白血病のために亡くなった。
27歳。ダン・ジャンセンの姉である。この1週間前、ジャンセンは500と1000mを2回ずつ滑る世界スプリント選手権で総合優勝を遂げ、姉ジェーンにその報告をしていた。
ダン・ジャンセンはカルガリーの選手村で姉の悲報を聞き、その数時間後、スピードスケート500mのスタートラインに立った。
2組インスタート。
当時、500mは1回のみのレースで順位が確定した。そのため、インコースかアウトコースかで明らかな有利・不利があった。
ジャンセンは100mを9秒95で通過するも、第1コーナーで転倒してしまった。
レースはウーベ・マイ(東独=当時)が金メダル、サラエボ五輪で惨敗した黒岩彰が銅メダルを獲り、雪辱を果たした。
黒岩の文字が大きく踊る脇に、ジャンセンの小さな記事が日本の新聞にも載った。
4日後の1000m。翌日には、ジェーンの葬儀が予定されていた。
「ダン・ジャンセンに金メダルを」。
米国メディアは合言葉のように朝から繰り返している。
USOCが、彼の帰国のために特別機をチャーターしたという情報もあった。
600mまで44秒02。世界記録を0秒38上回るペースだった。
しかし、最終コーナーで再びバランスを崩し倒れてしまった。
1992年、雪辱を期したアルベールビル五輪、500mはウーベ・マイが連覇。銀メダルは黒岩敏幸、銅メダルには井上純一が入った。が、ダン・ジャンセンは4位。
米国の新聞には、スケートでなくスキーを履いていたジャンセンと酷評された。
さらに、1000mは屈辱の26位に終わった。
この後、冬季五輪は夏季五輪の中間年に開催されるようになり、2年後、1994年にリレハンメル五輪が巡ってきた。
500mは6年前と同じ2月14日だった。
ダン・ジャンセンがリンクに姿を見せた。
彼は、生後9カ月の長女を連れて大西洋を越えてきた。
長女の名は、「ジェーン」。もちろん姉の名前から取った。
「2人のジェーン」のために、ジャンセンは4度目の五輪に挑んだ。
実力は、間違いなく世界一だったろう。
35秒76、スラップスケート以前の当時としては驚異的な世界記録を持ち、直前にカルガリーで開催された世界スプリント選手権も制していた。
今でもよく覚えている。
他国の選手、コーチ、メディアがジャンセンを注視し、異様な緊張感が生まれていた。
ところが、第2カーブの入り口で、左足のエッジの先端が氷に突き刺さる。バランスが崩れた瞬間、左手の3本の指がリンクにつく。36秒68。8位だった…。
専修大の学生だった堀井学が銅メダル、まだ19歳だった清水宏保が5位に入った。
実力がありながら、メダルに縁のない選手もいる。ジャンセンもそんな選手の一人。周囲にそんな雰囲気が漂い始めていた。
リレハンメル五輪1000m、ダン・ジャンセンの最後のレースが始まった。
700m付近で、ジャンセンは、またスリップした。左手を2度、氷についた。
しかし、もう転倒することはなかった。リズムを取り戻し、最後の直線でさらに加速した。
1分12秒43。世界新記録。8回目のレースで金メダルに手が届いた瞬間だった。
リンクサイドで生後9カ月のジェーンを抱いた妻ロビンが号泣している。
ジャンセンの人生観の中で、最も価値が高いものが「家族」であることを、そのことが象徴している一瞬だった。
ところが、この話にはオチがある。
金メダルを取って、実業家としても成功したジャンセンは忙しくなり、家族とすれ違いが多くなり、そして離婚してしまった。
果たしてウォザースプーンはダン・ジャンセンなれるだろうか?
●スピードスケート男子短距離のメダリスト
1984年サラエボ大会
500m
1.セルゲイ・フォキチェフ(ソ連)38"19
2.北沢欣浩(日本)38"30
3.ゲータン・ブシェ(カナダ)38"39
1000m
1.ゲータン・ブシェ(カナダ)1'15"80
2.セルゲイ・フレブニコフ(ソ連)1'16"63
3.カイアルネ・エンゲルスタート(ノルウェー)1'16"75
1988年カルガリー大会
500m
1.ウーベイエンス・マイ(東ドイツ)36"45
2.ヤン・イケマ(オランダ)36"76
3.黒岩彰(日本)36"77
1000m
1.ニコライ・グリャエフ(ソ連)1'13"03
2.ウーベイエンス・マイ(東ドイツ)1'13"11
3.イーゴリ・ゼレゾフスキー(ソ連)1'13"19
1992年アルベールビル大会
500m
1.ウーベイエンス・マイ(ドイツ)37"14
2.黒岩敏幸(日本)37"18
3.井上純一(日本)37"26
1000㍍
1.オラフ・ツィンケ(ドイツ)1'14"85
2.金潤万(韓国)1'14"86
3.宮部行範(日本)1'14"92
1994年リレハンメル大会
500m
1.アレクサンドル・ゴルベフ(ロシア)36"33
2.セルゲイ・クレフシェニア(ロシア)36"39
3.堀井学(日本)36"53
1000m
1.ダン・ジャンセン(米国)1'12"43
2.イーゴリ・ゼレゾフスキー(ベラルーシ)1'12"72
3.セルゲイ・クレフシェニア(ロシア)1'12"85
1998年長野大会
500m
1.清水宏保(日本)1'11"35
2.ジェレミー・ウォザースプーン(カナダ)1'11"84
3.ケビン・オーバーランド(カナダ)1'11"86
1000m
1.イツ・ポストマ(オランダ)1'10"64
2.ヤン・ボス(オランダ)1'10"71
3.清水宏保(日本)1'11"00
2002年ソルトレークシティ大会
500m
1.ケーシー・フィッツランドルフ(米国)1'09".23
2.清水宏保(日本)1'09".26
3.キップ・カーペンター(米国)1'09".47
1000m
1.ヘラルト・ファンフェルデ(オランダ)1'07".18
2.ヤン・ボス(オランダ) 1'07".53
3.J・チーク(米国)1'07".61
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