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March 24, 2006

森喜朗前首相 五輪に2度行ってメドが立たない選手は、3度は出さなくていい

日本体育協会会長でJOC理事も務める森喜朗前首相がこんな発言をした。

五輪に2度行ってメドが立たない選手は、3度は出さなくていい―日本オリンピック委員会(JOC)理事の森喜朗前首相が23日の理事会で持論を展開した。
トリノ五輪でベテランが多かった日本の不振を受けて「出場選手は半ば決まっていて、若手が意欲を持って挑戦できない。次に期待できる選手を出せばいい」。
竹田恒和JOC会長が「ジュニアの育成がうまくいかず、世代交代が進まない」と引き取ると、スキー出身の村里敏彰理事は「反省すべき点は多々ある。次回は同じにならないようにしたい」と恐縮しきりだった。(asahi.com)

自分の立場、影響力、後先を考えない森氏らしい乱暴なことばである。
今季限りでの引退を発表した原田雅彦氏の名前を挙げ「4回も5回もオリンピックに行くのがいいのかな、とも思う。」とも述べたらしい(読売新聞)

そもそもメドが立つという言葉はあいまいでわかりにくい。
メダル獲得であるか、入賞(8位以内)であるか。
冬季競技と夏季競技では異なる、競技によって違ってくる。

例えば
●女子モーグルの上村愛子
1998年 7位
2002年 6位
2006年 5位

●アルペン回転の皆川賢太郎
1998年 棄権
2002年 失格
2006年 4位

ともに五輪に3回出場し、3回ともメダルに届いていない。
が、上村は3大会連続入賞、皆川は50年ぶりの入賞の快挙を成し遂げている。

夏季競技の選手も同様だ。
アテネ五輪でメダルを獲った選手の中にもこうした例がある。

●競泳200mバタフライ 山本貴司
1996年 予選落ち
2000年 9位
2004年 銀メダル

●女子柔道 阿武教子
1996年 72kg超級1回戦敗退
2000年 78kg級1回戦敗退
2004年 78キロ級 金メダル

●アーチェリー 山本博
1984年 銅メダル
1988年 8位
1992年 17位
1996年 19位
2000年 日本代表落選
2004年 銀メダル

中年の星といわれた山本博、若くして銅メダルに輝くも、その後の五輪では低迷を重ね、2000年のシドニー五輪では五輪代表に入れなかった。
ところが、アテネ五輪は銀メダル。自身20年振りのメダル獲得となった。

失礼ながら山本選手のメダルを誰が予想していただろうか?
こうしたところが五輪の面白さでもある。

確かに、若手を育成、指導するシステムが出来ているのはフィギュアスケートだけだ。
競泳のように派遣基準を高くして成功している例もある。
少数精鋭制の厳しさは他の競技団体も取り入れるべきだろう。

あとは役員が多すぎなのは何とかした方がいいのではないか。

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Comments

こんにちは。

森氏は僕の実家の選挙区の政治家。恥ずかしい限りです。自身、スポーツ(ラグビー)に親しんでいたはずなんですがね…。

細かいことですが、山本貴「司」だと思います。先月、彼の全日本クラスのレース(ジャパンオープン)への復帰戦を辰巳でみました。まだまだ本調子ではなかったですが、4月の日本選手権が楽しみです。

Posted by: Junya | March 24, 2006 01:10 PM

Junya 様

ご指摘ありがとうございます。
早速なおしました。
山本選手も1年間のブランクを経て
北京に向けて泳ぎだしましたね。
楽しみです。

Posted by: 管理人 | March 24, 2006 02:31 PM

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