« お疲れ様でした 原田雅彦 今季限りで引退  | Main | 19歳の3番打者 アトランタ五輪の福留孝介を思い出した »

March 16, 2006

企業スポーツの理想型といわれた旭化成 ついにバレー部廃部を発表

90年代の不況時に相次いで企業のスポーツ離れが起き、多くの選手を抱えなければならない球技を中心に廃部が続いた。
その中で旭化成はその独特の理念で日本の企業スポーツを支えてきた企業だったが、このほどバレーボール部の廃部を発表した。

旭化成は1956年のメルボルン五輪以降、夏季五輪に選手を送り出している。
柔道なら古くは日本人初の無差別級王者上村春樹(1976年)、誤審に泣いた篠原信一(2000年 現在は天理大監督)、アテネ五輪66キロ級金メダルの内柴正人も旭化成の所属だ。
マラソンを中心とした陸上は宗兄弟(76・80・84年)、東京世界陸上(1991年)優勝の谷口浩美、バルセロナ五輪(1992年)銀メダルの森下広一などがいた。
現在もバレーボール部在籍の南克幸の父南将之氏(故人)はミュンヘン五輪金メダルメンバーの一人で、五輪の金銀銅全てのメダルを持つ。

これまでの五輪で同社の社員が獲得してきたメダルは柔道、陸上の個人種目だけで金3、銀3、銅1。団体競技のバレーボールを含めれば金4、銀4、銅2にもなる。

旭化成広報部によると、「業績は不景気の時のように、悪い状況ではない」。
バレーボール部員は15人で陸上部、柔道部とほぼ同数。数億円かかる年間の活動費も「大差はない」という。

旭化成の運動部のモットーは、『よき社会人たれ、よき企業人たれ、そして、オリンピックの勝者たれ』。オリンピックに勝つことより、よき社会人・企業人になることを優先している。

近年の企業スポーツは福利厚生よりも広告の要素が強くなっている。終身雇用制の中でスポーツと社業を両立するのではなく、スポーツのみのセミプロ的な契約社員が増えている。
バレーボールの世界では、プロ化こそしていないものの、外国人選手や全日本クラスの選手は契約社員であることが多い。
外国人選手の活躍がリーグ順位を左右する中、旭化成はこれまで外国人選手を獲得せず、日本人だけで戦ってきた。
ところが、全日本のエースでもある甲斐祐之を契約社員として獲得し、今季は15人の選手中3人が正社員ではなかった。しかしVリーグの順位は4季連続の最下位の8位。廃部は、同社の「職場の社員を育てる」理念との乖離のようだ。

企業スポーツの理想型が旭化成にはある、といわれ続けてきたがその限界が来たということだろうか。

今後チームは譲渡先を探し、6月までは存在する見込みだ。
だが、譲渡先を見つけることは難しいだろう。女子バレーで今季限りで活動停止する茂原アルカスも消滅の危機にある。
プロ化、セミプロ、アマチュアの問題はバレーボールだけでなく、bjリーグをスタートさせたバスケットもアイスホッケーも同様だ。

*ひとつ疑問がある。バレー界にはVリーグの下にV1リーグその下に地域リーグがある。
旭化成は今季V1チームとの入れ替え戦に勝ったのだが、自ら下部リーグに降格することはなぜしないのだろう。
旭化成の一社員として社会人・企業人の自覚を強く持って運動部の活動をすることが目的ならトップリーグであるVリーグにいなくても良く、セミプロ化の問題に頭を痛めることもないと思うのだが。

●旭化成所属選手の五輪出場

柔 道
1976年 
  上村春樹 無差別級 金メダル
1988年 
  大迫明伸 86kg級 銅メダル
1996年
  中村兼三 71kg級 金メダル 
  中村行成 65kg級 銀メダル 
  中村佳央 95kg級 7位
2000年
  篠原信一 100kg超級 銀メダル
  中村兼三 73kg級 出場
  中村行成 66kg級 7位
2004年
  内柴正人 66kg級 金メダル
  塘内将彦 81kg級 出場
  高松正裕 73kg級 出場

陸 上
1956年 2名参加
1960年 4名参加
1964年 6名参加
1968年 1名参加
1976年 
 マラソン 宗茂 20位
1980年 
 マラソン 宗茂 -
 マラソン 宗猛 - 
1984年 
 マラソン 宗猛 4位
 マラソン 宗茂 17位
1988年 
 10000m 米重修一 決勝17位
 5000m 米重修一 予選11位
 マラソン宮原美佐子 29位
1992年
 マラソン 森下広一 銀メダル
 マラソン 谷口浩美 8位
 10000m 大崎 栄 予選14位
1996年 
 マラソン 谷口浩美 19位  
 10000m 千葉真子 5位  
2000年 
 マラソン 川嶋伸次 21位
 マラソン 佐藤信之 41位
2004年
 10000m 大野龍二 19位

バレーボール
1964年 南将之 銅メダル
1968年 南将之 銀メダル
1972年 南将之 金メダル
1988年 南克幸(当時法政大)出場
1992年 南克幸 出場

|

« お疲れ様でした 原田雅彦 今季限りで引退  | Main | 19歳の3番打者 アトランタ五輪の福留孝介を思い出した »

Comments

The comments to this entry are closed.