世界的知将パイオニアのセリンジャー監督が退任
バレーボールVリーグ女子のパイオニアレッドウィングスを率いるアリー・セリンジャー監督(69)が、全日本男女選手権(黒鷲旗・5月1日-7日)を最後に監督を退くことが17日、分かった。 2000年にパイオニアの監督に就任し、04年、06年の2度、Vリーグを制覇。黒鷲旗も03年と05年にチームを頂点に導いた。 パイオニアは「黒鷲旗の後に正式に発表したい。現時点で後任は決定していない」と話している。
セリンジャー氏はポーランド出身のユダヤ人だ。ゲットーやベルゲン・ベルゼンの強制収容所で死と隣り合わせ6年間暮らした経験も持つ。
1945年4月7日、ドイツ降伏の1カ月前にはアウシュビッツのガス室送りからも寸前のところで助かった。
戦後はイスラエルで過ごした。バレーボールに没頭し、セッターとして才能を発揮しやがてイスラエルの女子代表チームの監督に就任。3年後の1967年には欧州選手権で優勝するまでになる。アメリカイリノイ大学で医学博士号を取得、米国女子コーチとしてロサンゼルス五輪で銀メダル、1992年バルセロナ五輪ではオランダ男子監督として銀メダルを獲得。
日本では1989年から1999年までダイエー(現久光製薬)監督を務め、Vリーグで2回優勝。2000年からパイオニア監督に就任し今季も含めて2回優勝した。この数字は、全日本監督柳本晶一氏、元全日本監督の葛和伸元氏を上回る実績だ。
一昨年だったと思うが、北京五輪に向けて中国男子の監督のオファーを受けていた。タイミングとしては北京五輪まで2年のこの時期はベストだ。問題は69歳という年齢だが、数々のベテラン選手を再生してきたセリンジャーなら問題ない。
なぜこれだけの人物が全日本の監督になれなかったかって?
歯に衣着せぬ容赦ない発言が、バレーボール協会の松平名誉会長(ミュンヘン五輪金メダル監督)とぶつかるからだ。
●Vリーグ女子優勝チームと監督
年度 |
回 |
優勝チーム |
優勝監督 |
1994年 |
1 |
ダイエー |
セリンジャー |
1995年 |
2 |
ユニチカ |
|
1996年 |
3 |
NEC |
葛和 |
1997年 |
4 |
ダイエー |
セリンジャー |
1998年 |
5 |
東洋紡 |
柳本 |
1999年 |
6 |
NEC |
|
2000年 |
7 |
東洋紡 |
柳本 |
2001年 |
8 |
久光製薬 |
|
2002年 |
9 |
NEC |
葛和 |
2003年 |
10 |
パイオニア |
セリンジャー |
2004年 |
11 |
NEC |
|
2005年 |
12 |
パイオニア |
セリンジャー |
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