五輪招致に認識の甘いJOC なりふり構わないがむしゃらさも必要
16年夏季五輪の招致を目指す日本オリンピック委員会(JOC)が、団塊の世代を中心とした元商社マンを海外での「大使役」に起用する作戦を立てている。諸外国の政財界につながる人脈が期待できるうえ語学にも堪能で、日本を売り込むにはうってつけの人材として白羽の矢を立てた。 JOCの林務専務理事は「海外に手足を持つ商社が協力してくれれば大きな強み。国内候補都市が決まったら、翌日にでもすぐ世界に出て行ってほしい」と期待を寄せる。 JOCが想定するのは、海外駐在経験がある大手商社の勤務経験者で、早期退職者ら。実費のほか、報酬も用意する方針で検討している。10人以上は確保したいとして、商社側に協力を求めていく。(asahi.com)
一見、良いアイディアのようにも見える。
が、本気で五輪招致を計るのなら、なりふり構わないがむしゃらさが必要だ。
異論はあろうが、商社に留まらず海外の公館を総動員するくらいでないと、とても勝ち抜けないだろう。
2003年7月3日、2010年冬季五輪開催地を決めるプラハで開催されたIOC総会。
本命と見られたバンクーバーに落ち着いたものの、伏兵の平昌が土壇場で追い上げ、あわやという状況だった。
名乗りを挙げた都市の中から立候補都市になったバンクーバー(カナダ)、ザルツブルグ(オーストリア)、平昌(韓国)、ベルン(スイス)の内、べルンが事前に辞退、3都市で争われた。
ところが、開催計画に多くの懸念材料が示されていた平昌が1回目の投票で過半数の54票に僅か3票という51票を獲得する。
平昌は、投票直前のプレゼンテーションで、北朝鮮との分断の悲劇を鮮明に示し、平和を強調する五輪の理念を強調した。
これにアジアでのスキー市場開拓をめざすFIS(国際スキー連盟)が平昌を支持、冬季五輪に参加をしないアフリカ諸国の浮動票がこれに乗ったと見られている。
最終投票ではザルツブルグ支持の16票がそのままバンクーバーに流れ56対53という際どさで2010年開催地はバンクーバーに決まった。
平昌の招致団はIOC総会に合わせてチャーター機でプラハに200人以上が乗り込み、活発なロビー活動を展開したという。
現地入りしてからの猛烈なロビー活動はソウルが名古屋を敗った1981年バーデンバーデンのIOC総会を髣髴とさせた。
有力候補といわれながら最初の投票で16票しか獲れず、惨敗したザルツブルグにはフランツ・クラマー、トニー・ザイラーといった往年のスキー界の大スターが顔をそろえていた。
ザイラーは「我々は正直すぎた」と悔しがったという。
2008年夏季五輪招致に立候補した大阪市は1回目に僅か6票しか獲れずに落選。
しかし、最大40票は獲れると皮算用をしていた。
認識と現実とのギャップに気づかないと、またも大敗するだろう。
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