オリンピック代表に直前で落選したジーコ
W杯も間近になり、ジーコの経歴を改めて調べていると、面白い表が見つかった。
ジーコの生涯ゴールの内訳だ。
これをみるとびっくり、ブラジル五輪代表で1点取っているではないか。
ジーコも五輪選手だったとは・・・。
チーム |
ゴール |
試合 |
フラメンゴ |
508 |
731 |
ウディネーゼ |
56 |
79 |
住金/鹿島 |
54 |
88 |
ブラジル代表 |
66 |
88 |
五輪代表 |
1 |
8 |
マスターチーム |
10 |
18 |
ユース時代 |
81 |
116 |
ほか |
50 |
52 |
合計 |
826 |
1180 |
よく調べてみるとジーコはまだ10代の頃、1972年のミュンヘン五輪をめざしていた。
当時の五輪はオープン化されていなく、サッカーといえどもプロ契約した選手に出場の道は閉ざされていた。
五輪出場の為あえてアマチュアにとどまりプレーを続けていたジーコが、五輪代表チームで上げた得点は、プレ五輪大会。(8試合で1点)
ところが、最終選考でメンバーからはずされている。
このショックはあまりにも大きくジーコ自身サッカーを捨てる気持ちになったが後、家族の必死の説得で思いとどまる事になるとジーコ公式ページにも書かれている。
同じようなはなしを聞いたことがある。
日系ブラジル人で辛口の評論家として知られるセルジオ越後氏。
東京五輪をめざしてアマチュアでブラジル五輪代表で活躍していたという。
ところがプロ契約のはなしが来て、東京五輪はあきらめたらしい。
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