幻の1986年ワールドカップ日本開催計画
今朝W杯準決勝のポルトガル対フランスが行われ、1-0でフランスが勝利。
残すは、決勝と3位決定戦のみとなった。
日本サッカー協会は50年以内のW杯日本単独開催を掲げているが、可能だろうか?
戦後W杯を2回開催した国は2カ国。
ドイツは1974年に西ドイツとして、2006年にドイツとして開催し、この間32年。
メキシコは1970年と1986年に2度開催しており、この間は16年。
決勝トーナメントの常連とはいえ、なぜメキシコは短い間に2回のW杯が開催できたのか。
1986年のW杯はコロンビア開催で決まっていたのだが、開催返上が余儀なくされた。
なんと開催の12年前の1974年のFIFA総会でコロンビア開催が決定した。
当時本大会出場国は16カ国、ところが市場の拡大をめざすFIFAは1982年のスペイン大会から出場国を24カ国に拡大する。
政治的にも、経済的にも不安定なコロンビアにこの地球規模のイベントは負担が大きすぎ、1982年11月「24カ国でのW杯開催は不可能」と声明を出し、返上してしまった。(FIFAが誘導したとのはなしもある)
同じ米大陸の中という条件から、カナダ、メキシコ、アメリカが再立候補し、最終的に1983年5月メキシコでの2度目の開催が決まった。
このコロンビアの返上以降、南米大陸でW杯は開催されていない。
この1986年大会だが、実は、日本開催で動いていたことがあった。
1970年のメキシコ大会に視察に来ていた日本サッカー協会幹部に スタンレー・ラウスFIFA会長(故人)が、16年後のW杯の日本開催を打診したと言われている。
1996年5月10日の朝日新聞に次のような記事がある。
「世界サッカー誘致を--16年先ねらい検討へ」。そんな文字が新聞各紙に躍ったのは、1970年8月2日のことだ。ワールドカップ(W杯)日本招致の構想は、今から26年も前に浮上した。同年のW杯メキシコ大会を訪れた当時の日本サッカー協会の野津謙会長が、国際サッカー連盟(FIFA)のスタンレー・ラウス会長(イギリス=イングランド)から打診を受けた。「日本は東京五輪を開いた。W杯を開催する気があるなら、86年にやってはどうか」それを受け、帰国した野津会長が日本体育協会で会見。「日本がもっと強くなければいけないし、資金などの難問がある。しかし目標をぐっと高く置き、86年のW杯を日本で開催したい」と語った。とはいえ、当時の日本にはW杯を開催する土壌は何もなかった。W杯の基準に見合う競技場はゼロ。練習場もない。サッカー人気も、実力も開催国にふさわしいとはいいがたかった。
野津謙は、1969年にFIFA理事就任している。
2003年に小倉純二サッカー協会副会長がFIFA理事に当選するまで、長い空白があったことを考えれば、この時代にFIFAの要職に就いた野津氏の政治力はかなりのものがあったと推測されよう。
そして、1976年、同郷の長沼健氏(現サッカー協会名誉会長)らがクーデターを起こし野津は会長の座を追われている。
1986年のW杯が日本で開催されていたら・・・
1986年メキシコW杯、6月22日、準々決勝のアルゼンチン対イングランド戦はW杯史上に残る。
マラドーナの「神の手ゴール」そしてその僅か4分後の「5人抜き」。
灼熱のアステカ・スタジアムの伝説は東京の国立競技場でも起こりえたのだろうか。
小倉純二FIFA理事は、来年5月8日に行われるFIFA理事選に再び立候補する。
FIFAはアジアから3人の理事を選出している。うち1人を副会長職に据える規約があり、鄭夢準氏が勤めていることは周知の通りだ。
小倉氏が鄭夢準氏に代わってFIFA副会長職の座に就けば、W杯の日本単独開催の夢も見えてくるのだが。







Comments
「世界サッカー誘致を--16年先ねらい検討へ」。
そんな文字が新聞各紙に躍ったのは、1970年8月2日のことだ。
ワールドカップ(W杯)日本招致の構想は、今から26年も前に浮上した。
細かい指摘で申し訳ないですが、この26年前という表記は36年前の間違いだと思いますが・・・・
こんかい初コメントですが、いつも楽しく読ませて頂いています。
Posted by: 細かいこと | July 10, 2006 at 01:57 AM
細かいこと様
実は違うんですよ。
これは1996年の新聞記事の引用で、1970年当時を振り返っているんです。
ですから、誤りではないんです。
ご了承ください。
Posted by: 管理人 | July 10, 2006 at 10:17 AM