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January 29, 2007

アジアの鉄人 楊伝広氏死去 

台湾の中央通信によると27日、台湾に初めてオリンピックの銀メダルをもたらした楊伝広(ようでんこう)氏が脳卒中のため米カリフォルニア州の自宅で死去した。73歳。

米カリフォルニア州の大学で大会前に練習を重ね、1959年に全米陸上十種競技で優勝。翌60年のローマ五輪の陸上十種競技で銀メダルを獲得する快挙を達成した。ローマ大会の陸上競技分野でのメダル獲得はアジアでもただ1人だった。同競技は「キング・オブ・スポーツ」と呼ばれ、人気の高い欧州のジャーナリストから「アジアの鉄人」と称賛された。64年の東京五輪でもメダルが期待されたが、体調不良により5位に終わった。63年に出した十種競技の総合得点8009点は、アジア最高記録として30年以上破られなかった(現在の最高記録は8725点)。最近、肝臓がんの治療のため、カリフォルニア州に滞在していた。(産経新聞)

楊伝広氏、全く見たこともないが、伝説のアスリートとしては知っていた。
1960年代 中国のいない世界の陸上界で台湾の選手が五輪で2個のメダルを獲っている。
一人が楊氏、もうひとりがメキシコ五輪女子80m障害銅メダルの紀政氏だ。
(女子の障害走が100mになったのは1972年のミュンヘン五輪以降)

昨年行われた世界バレー女子で、全日本がいきなり初戦で台湾=チャイニーズタイペイに敗れた。
五輪を始めとする国際競技大会でのチャイニーズタイペイの呼称は既に定着していると思っていたが、意外とこの呼称を使う理由が知られていないことに驚いた。

チャイニーズタイペイ=中華台北は、中華民国である台湾が国際社会に参加する上で、妥協として用いている名称である。五輪以外の国際総合競技大会や、国際的な民間組織でも、中華台北の名称で参加している事例が多くなっている。

IOCの少数の委員が「二つの中国」の政策を堅持していたため、中国五輪組織委員会は1958年8月に、IOCから脱退した。
1979年10月にIOCに復帰し、1980年レークプラシッド冬季五輪に参加するも、同年のモスクワ五輪には不参加。夏季五輪への復帰は1984年のロサンゼルス五輪となった。
中国のIOC復帰に伴い代わりに脱退した台湾は1981年にIOCに復帰し、中国・台湾の双方がIOCのメンバーとなった。

台湾の呼称について長らくまとまらなかったが、1989年4月、当時の中国の五輪委員会会長何振梁と中華民国五輪委員会事務局長の李慶華の両者が協議し、1992年のアルベールビル冬季五輪以降、英文表記でチャイニーズタイペイ、漢字表記で中国台北、IOCコードのTPEへの変更を決定した。
その後台湾は、なし崩し的に中華台北を使用、中国もこれを黙認し、現在に至っている。

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Comments

過去ログ、ひっくり返させていただきました。
楊伝広死去のニュースは感慨深いものがありましたね。
「全く見たこともない」のですか。やっぱり私の方が年上だ(笑)。

それにしても、この産経新聞の記事に「アジアの鉄人」とあるけど、これは不正確だと思います。ヨーロッパはどうか知らないけれど、「アジアの鉄人」は室伏パパでしょ(笑)。彼はやはり「東洋の鉄人」ですよ。昔は東洋の呼称の方が一般的でした。私の出た小学校は、戦前に鉄筋コンクリートで建ち、東洋一の校舎と言われていたらしいです(大笑)。

東京オリンピックの十種競技で、楊伝広は棒高跳びで3m95を失敗、これが尾を引いたのではないかと思います。棒高跳びの本競技の優勝記録が、例のハンセンとラインハルトの死闘で、5m10ですから、まあ4m30くらいは飛びたかったところなんでしょうね。

ところで、けっこうびっくりしたことは、年とってからの楊伝広がインタビューに流暢な日本語で答えていたことです。今年73歳で死去ということは、単純計算で1934年生まれですか。考えてみれば、当たり前なんですね(笑)。でも、けっこうびっくりします。

私はわりと台湾が好きなので、日本の中華人民共和国一辺倒の政策はかなり不満です。台湾が台風でやられても、ほとんど報道されませんし。

中華台北なんて、本当はかったるいですよね。台湾でいいですよ。中華民国でもいい。絶対怒られるけど(笑)。

Posted by: でいのしん | September 26, 2007 at 02:58 AM

私も90年代に度々訪台し、台湾ファンの一人であります。
楊伝広氏は後年国会議員になり選挙のポスターは見たことがあります。

楊氏の十種競技の最高得点は8009ptsですから日本記録をいまだに上回っているんですよね。

紀政氏もそうですが、この時代どうして台湾から世界的なアスリートが出たのでしょうか。

Posted by: 管理人 | September 28, 2007 at 11:12 AM

>私も90年代に度々訪台し、台湾ファンの一人であります。
そうでしたか。私は一度だけです。
余談ですが、それが、あの9.11の同時多発テロがあった時で、台湾の銀行の外為窓口が全部閉鎖されてしまい、現金を持っていなかった人は苦労しました。私は前日に換金していたので、まあまあ大丈夫でしたが。あの時は、その数日後に台風も来て、MRTがすべて水没、台北市内のほとんどが停電と大変な時でした。でも、それだけに思い出も深いです(笑)。

楊伝広、紀政のような選手がなぜ出たか? なぜでしょうね。
もっとも紀政について言えば、日本の戦前になぜ人見絹枝が出たのか、ということと同義なのかもしれません。結論は・・・よくわからない(笑)。

楊伝広は日本統治下の台湾で育ったわけですから、日本の教育とも関係がないわけじゃないかもしれません。ベルリンの時の、マラソンの金・銅を占めた、孫・南の二人は朝鮮半島の出身でしたが、その後、しばらくは韓国からは好選手が出たわけではないですよね。経済的な問題が関係しているかもしれませんね。

Posted by: でいのしん | October 02, 2007 at 12:07 AM

スリランカのスサンティカ・ジャヤシンゲが世界陸上の女子200mで銅メダルを獲りました。
銅メダルのシドニー五輪から7年、銀メダルのアテネ世界陸上から10年目の快挙に驚きました。

ジャヤシンゲにはドーピングの噂がありましたし、スリランカ政府の国家プロジェクトというはなしもありましたが、偶然世界的な選手がスリランカから出てきた、ということだと思うのです。

とすると、楊伝広、紀政と同様にたまたまなのかもしれません。

冬季五輪で最初にメダルを獲ったのは1964年の北朝鮮の選手です。同国の選手がこれに続かなかったのはやはり経済的な問題も大きな要因でしょうね。

Posted by: 管理人 | October 02, 2007 at 10:55 AM

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