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May 29, 2007

蒲池猛夫選手の思い出

人気ユニット「ZARD」の坂井泉水さんが亡くなった。
2000年のシングル「Get U're Dream」はNHKのシドニー五輪テーマ曲になり、今でも口ずさめる。

坂井さんの本名は蒲池幸子さんという。
蒲池さんといえば鎌倉時代から続く福岡県の名門の一族だ。
坂井さんとは遠い親戚にあたるという松田聖子氏の本名は蒲池法子、さらにロサンゼルス五輪射撃ラピッドファイアピストルで金メダルを獲った選手に蒲池猛夫氏も一族にいる。

蒲池猛夫さんはその当時48歳。五輪出場は4回目だったが、モスクワ五輪を含めれば5回目の日本代表だった。
当時の日本最高出場記録である。 
日本の場合、射撃選手は警察官か自衛隊等に限られるため、非常にマイナーな競技とされるが、蒲池は3回出場した五輪で毎回「優勝候補」と騒がれていた。
1967年の全日本選手権では当時世界最高となる598点を記録、メキシコ五輪で「メダルは確実」といわれていながら12位。ミュンヘン五輪は33位。モントリオール五輪も12位に終わっていた。

●蒲池猛夫 ラビッドファイアピストル
・1968年メキシコ五輪
12位(586点) 金メダル:593点
・1972年ミュンヘン五輪
33位(580点) 金メダル:595点
・1976年モントリオール五輪
12位(591点) 金メダル:597点
・1980年モスクワ五輪
日本不参加 金メダル:596点
・1984年ロサンゼルス五輪
金メダル(595点) 

ロサンゼルス五輪は、その4年前のモスクワ五輪をボイコットされた報復に東側諸国が大量にボイコットをした大会である。射撃は東側が強く、このラピッドファイアピストルもポーランド、東ドイツ、ルーマニアといった国が金メダルを獲っていた。
そのため、蒲池氏の金メダルも「棚からボタモチ」的な金メダルと指摘する人もある。
が、この日の蒲池の得点595点はそれ以前の金メダルの得点と比べてもそん色ないし、蒲池に次いで銀メダルを獲ったルーマニアのイオンはモスクワ五輪の金メダリストでもある。

ロス五輪の2年前、草刈り中に右手中指を切り、ピストルが握れなくなって一度は引退した。しかし、若手の伸び悩みから復帰の声がかかり、一年間のブランクを乗り越えてのロス五輪であり、日本選手最年長、孫もいた。

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