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October 05, 2007

マリオン・ジョーンズ ドーピング違反を告白 

2000年シドニー五輪陸上競技で金メダル3個を含むメダル5個を獲得したマリオン・ジョーンズがシドニー五輪の前からドーピングをしていたことを家族や友人に宛てた手紙の中で認めていたことがわかった。

シドニー五輪でマリオン・ジョーンズが獲得した計5個のメダルは、はく奪される可能性が出てきた。
IOC憲章は、3年以上さかのぼっての五輪の競技結果変更を認めていないが、IOCは「事実が表面化したのがその後なら、この規則は当てはまらない」としている。

マリオン・ジョーンズは当時のコーチだったトレバー・グラハムに「栄養補助のアマニ油」だと勧められ、禁止薬物とは知らずに摂取したという。

マリオン・ジョーンズにドーピング疑惑が持ち上がったのはアテネ五輪を前にした2003年、米反ドーピング機関(USADA)のもとに、匿名の電話があり薬物入り注射器が届いた。
注射器の薬はマリオン・ジョーンズと契約していたバルコ社がドーピング検査を逃れるために作った新種の筋肉増強剤だった。
USADAから事情聴取を受けたが本人は検査で過去に一度も陽性になっていないことを証拠に、無実を主張していた

2006年6月 マリオン・ジョーンズはインディアナポリスで開かれた全米選手権100mで2年ぶりに優勝するも薬物検査(A検体分析)で、持久力を高める禁止薬物エリスロポエチン(EPO)に陽性となったと報じられた。
ところが、ドーピング検査の予備サンプル(B検体)が陰性となったことが判明。この件で処分を受ける可能性が消えていたが、今回本人の告白によって、ドーピングが明るみになった。

●マリオン・ジョーンズ年譜
1998年 砲丸投げ選手C.J.ハンターと結婚。
ハンターは禁止薬物ナンドロロンの陽性反応が出て出場停止処分。

1999年 ジョーンズとハンターが離婚。

2000年 シドニー五輪 5個のメダル獲得

2003年 ティム・モンゴメリーとの間に長男誕生
米反ドーピング機関(USADA)のもとに匿名の告発

2004年 アテネ五輪出場 走り幅跳び5位 400リレー棄権

2005年 ティム・モンゴメリードーピングにより資格停止処分

2006年6月 4年振りに全米選手権の100mを制す。
この直後、ジョーンズ同様トレバー・グラハム・コーチの指導を受けていたジャスティン・ガトリンがドーピング検査で陽性となる。

2007年2月 シドニー五輪100m銅メダルのオバデレ・トンプソンと再婚。

上記のようにマリオン・ジョーンズのコーチだったのがトレバー・グラハム。

ジャマイカ代表でソウル五輪のマイルリレーの準決勝を走ったこの人物は、マリオン・ジョーンズの元夫でドーピングで男子100m世界記録保持者の肩書をはく奪されて引退したティム・モンゴメリをも指導してきた人物だ。

シドニー五輪の1600mリレー米国代表(金メダル→失格)の4人(アルビン・ハリソン、アントニオ・ペティグリュー、カルビン・ハリソン、マイケル・ジョンソン)の走者の内、ハリソン兄弟及び準決勝を走ったジェローム・ヤングの3人はトレバー・グラハムがコーチを務め、いずれもドーピング違反を問われている。

●トレバー・グラハム門下でドーピング違反になった主な選手
カルバン・ハリソン ドーピング違反により2006年まで資格停止
アルヴィン・ハリソン ドーピング違反より2008年まで資格停止中
ジェローム・ヤング ドーピング違反で永久資格停止処分
ティム・モンゴメリー ドーピング違反で2005年から2年間の資格停止処分→引退
マリオン・ジョーンズ ?

●参考記事
ティム・モンゴメリ ドーピングで資格処分へ、バリー・ボンズへの影響は?

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