7勝4敗でW杯バレーを終え辞任した大古監督
バレーボールのW杯が閉幕した。
男子は3勝8敗の9位。
3勝で終わったのは、1999年(10位)、2003年(9位)に続く3大会連続となる。
五輪予選を兼ねるようになった1990年以降のW杯では1991年4位、1995年に5位という結果が残っている。
特に1995年は7勝4敗と随分勝ち越している。
にもかかわらず、この大会直後に大古監督は辞任した。
一体何があったのか。
●W杯バレー順位と監督
1991年 4位 決勝L 1勝-4敗 大古誠司
1995年 5位 7勝-4敗 大古誠司
1999年 10位 3勝-8敗 寺廻太
2003年 9位 3勝-8敗 田中幹保
2007年 9位 3勝-8敗 植田辰哉
松平康隆日本バレー協会会長(当時)のスキャンダルによる辞任である。
国際バレーボール連盟FIVBへの協賛金に関連して、2000万円が日本バレーボール協会から正規の手続きを経ずに支出されたなどとする、松平氏を中心とした協会の金銭疑惑を一部の週刊誌が報じた。
この前年には元全日本女子監督の性的スキャンダルもあり、地方協会などからバレーボール協会の長期ワンマン体制への不満が噴出し、ついには辞任に至ったと記憶している。
ミュンヘン五輪男子バレーボール金メダル監督だった日本バレーボール協会の松平康隆会長は、FIVB副会長、JOC副会長も兼任していた文字通りの「ワンマン会長」だった。
日本バレーボール協会では、専務理事時代から17年という長期に渡って牛耳っていた。
マスコミを美味く利用してのマーケティング活動を、今から35年以上前のミュンヘン五輪以前から展開していた人物でもある。
フジテレビ~ジャニーズ~バレーボールというタイアップの原型は松平氏によって作られたといえよう。
W杯を始め、バレーボールの国際試合の日本開催が多いのも、もちろん松平氏のお陰だ。
大古監督は、ミュンヘン五輪時のエースであり、松平氏の後ろ盾をなくして急遽辞任してしまったというのが真相だ。
突然の大古の辞任を受けて、コーチだった辻合真一郎が監督に昇格しアトランタ五輪予選に挑んだ。
地力では日本が圧倒的に優位であり、、ソウルラウンドでは中国、韓国に1セットも落とさなかったのにも関わらず、東京ラウンドで中国に0-3、韓国に1-3で敗れ五輪出場権を失った。
これ以後、男子バレーは長期低迷期に入ってしまうことになる。
追記:松平氏は1998年には国際バレーボール連盟の名誉副会長に任命され、同年、米国マサチューセッツ州ホリヨーク市にあるバレーボール殿堂に米国以外の外国人として初めて殿堂入りを果たす。現在は日本バレーボール協会名誉会長を務めている。
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