ロサンゼルス五輪の出場権をかけた野球アジア予選のとんでもないはなし
日本代表が野球で金メダルを獲ったのは1984年のロサンゼルス五輪。
当時野球は公開競技だったが、日本代表の団体球技の最後の五輪金メダルでもある。
もう随分と昔の話なので記憶違いや、詳細不明の部分もあるが、この五輪のアジア予選はとんでもない大会であった。
ロサンゼルス五輪を前年に控えた1983年9月、韓国ソウルの蚕室競技場で野球のアジア選手権が始まった。アジアからの五輪出場枠は2カ国、日本は韓国か台湾のいずれかに勝たなければならないはずだった。
当時台湾には後に西武で117勝を挙げる郭泰源(現台湾代表監督)、ロッテで70勝挙げる荘勝雄、日本には後にヤクルト入りする青島健太や阪神入りする池田親興などがいた。
9/03 韓国 vs. 豪洲 6:2 日本 vs.フィリピン 11:2
9/04 台湾 vs. 日本 3:1 豪洲 vs.フィリピン 4:1
9/05 雨天のため一日順延
9/06 台湾 vs. 韓国 1:2 日本 vs. 豪洲 8:4
9/07 韓国 vs. フィリピン 11:1 豪洲 vs. 台湾 1:5
9/08 台湾 vs. フィリピン 5:2 日本 vs. 韓国 2:2(10回再試合)
9/09 日本 vs. 韓国 2:3
~~上位4カ国による決勝ラウンド~~
9/10 豪洲 vs. 韓国 2:5 台湾 vs. 日本 4:5
9/11 雨天のため一日順延
9/12 台湾 vs. 豪洲 10:0 韓国 vs. 日本 1:4
9/13 豪洲 vs. 日本 0:10 韓国 vs. 台湾 2:3(延長11回)
日本 vs. 台湾 0:1
●Result
1.韓国 予選4勝0敗,決勝1勝2敗(合計5勝2敗)
1.台湾 予選3勝1敗,決勝2勝1敗(合計5勝2敗)
1.日本 予選2勝2敗,決勝3勝0敗(合計5勝2敗)
4.豪洲 予選1勝3敗,決勝0勝3敗(合計1勝6敗)
予選と決勝リーグの勝敗が合計されたため、韓国、台湾、日本の3カ国が同じ勝ち星になり、3カ国が優勝を分け合うことになった。
が、肝心の五輪出場権については、
雨天順延となった9月11日に韓国がこんなことを言い出した。
「我々は昨年の世界選手権で優勝しているのでロサンゼルス五輪に推薦出場すべきである」と。
このあたりの詳細については記憶にない部分もある。
が、これが通ってしまったのだ。
アジアに2枚割り振られていた出場権の一枚は韓国へ。
そして日本は台湾とプレイオフによってもう1枚を争うことになった。
郭泰源と池田親興の投手戦になった。
この当時の郭泰源はMAX154キロ、158キロ出ていたという話もある。
日本、台湾ともにゼロが続く中、9回ウラ趙士強のサヨナラホームランが飛び出し、五輪出場権は台湾に渡った。
ご存知のようにロサンゼルス五輪は、モスクワ五輪の報復として東側諸国がボイコットをする。
野球に出場するはずだったキューバも同調した。
そしてキューバの代替には日本が選ばれた。
日本は、急な五輪出場に大学生を主体とした若手で編成することにした。
そのため青島健太等社会人野球を支えてきた選手が外れた。
そして金メダル獲得。
東芝のエリート社員でもあった青島はここままアマチュアで野球を続けていても金メダルを獲った五輪代表よりも評価されることはない、としてドラフト外でヤクルトに入団するのだ。
●1983年日本代表
投手:鈴木政明、黒紙義弘、西村基史、池田親興、池尻康晴、藤高俊彦、岡田邦彦
捕手:佐竹政和、島田宗彦
内野手:武智勇治、武居邦生、中屋惠久男、宮崎剛、正田耕三、望月伸一、青島健太
外野手:中本竜兒、福本勝幸、鶴岡昌宏、小林貢
●参考記事
デドー監督逝く
The comments to this entry are closed.
Comments