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January 08, 2008

箱根駅伝にみる日本テレビのスポーツ戦略

昨年(2007年)の箱根駅伝で優勝した順天堂大学のスポーツ健康科学部山田満准教授は、箱根優勝の広報効果は58億4688万円だったと見積もる。
山田准教授は電通出身だ。

山登りの5区で、3年連続で区間記録をつくった今井正人の力走を伝えた日本テレビのアナウンサーは、校名を74回連呼し、画面のテロップに校名が63回映しだされたという。
箱根駅伝の視聴率は正月三賀日のテレビ番組で視聴率の1、2位を占める。
1月2~4日のテレビ(ニュースなどを含む)の放映時間、3、4日の新聞記事のうち、順天堂大学の占める秒数、紙面の面積を計算。広告料金に換算すると19億4896万円。広報効果はその3倍58億4688万円に相当するというのだ。
優勝争いに絡めば、自然と露出度は上がり、その年の大学入試にも影響を及ぼす。

Yomi箱根駅伝はいつからこんな怪物番組になったのだろう。
かつて、箱根駅伝はテレビ放送はなく、ラジオ中継もはじまったのは昭和28年(1953年)だそうだ。

東京五輪を契機に、スポーツの中心は学生から実業団へ移り、陸上競技は企業主体になった。それに伴い60年代から70年代に箱根駅伝は低迷していた。
ところが、箱根駅伝の人気を復活させたのは早稲田の瀬古利彦である。

高校時代は中距離の選手で800mから5000mまでのタイトル独占していた瀬古は、早大入学後、中村清監督(故人)に見出された。
瀬古は1年生からエース区間の2区を走り、3年4年と区間記録・区間賞を獲った。
当時も今もマスコミ界には早稲田出身者が多く、彼らにとっても「えんじ」のシャツに白く「W」を染め抜いた瀬古利彦の走る姿は格好の素材であり、箱根は瀬古の出現によって再び勢いを取り戻し、瀬古は国民的なスター選手になっていった。

箱根を最初に取り上げたのはテレビ東京である。
1983年の第59回大会からテレビ放送を開始したが、ゴールの生放送を含む1月3日12:00~13:54の録画ダイジェスト放送であった。

日本テレビが後援に入り本格的なテレビ放送が開始されたのは1987年。
1989年の第65回大会から現在のような全区間完全生中継が行われている。
この1987年というのはソウル五輪の1年前であり、8月にはローマで第2回の世界陸上が開催されている。
この4年後1991年には東京での第3回世界陸上開催が決まっており、日本テレビは20億円という巨額の放映権料を負担し、独占放送の計画があった。

東京世界陸上に向けて陸上競技、特に日本人選手がメダルに届きそうなマラソン、長距離に対する関心と競技者の裾野を広げるために、日本テレビの箱根駅伝生中継が始まったと見る。

事実、東京世界陸上には前後に例を見ない6人もの箱根経験者が参加し、男子マラソンでは日体大時代には山下りのスペシャリスト(6区)として3年連続で区間賞を獲得した谷口浩美が金メダルを獲得している。
世界陸上に出場した日本人男子選手で優勝したのは現在でも谷口ただ一人だ。

日本テレビの世界陸上中継は、93年シュツットガルト、95年イエテボリ大会で終了。
97年のアテネ大会からはTBSがホスト局に代わった。


1931年、読売新聞社社長の正力松太郎が中心となってアメリカメジャーリーグ選抜軍を日本に招待し、強豪大学チームとの試合を行った。
興行は成功を収めたものの、その後文部省により、プロであるアメリカメジャーリーグ選抜と大学チームは試合ができなくなった。
それに伴い大日本東京野球倶楽部が結成され、1934年には、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグらを擁した全米軍と試合をすることになった。大会は読売新聞の報道もあって大きな注目を集め、大日本東京野球倶楽部は後に読売巨人軍となった。
この当時は日本テレビ開局前であるが、読売・日テレグループのスポーツ戦略はこのとき既にできていたといえる。

日本テレビは、1952年に開局し今年55周年を迎える。
当初からスポーツを重要なコンテンツと捉え、読売グループ総動員で盛り上げるという手法を得意としていた。簡単にその経過を振り返ると

1953年 民放初のプロ野球中継 巨人対阪神 中継
1953年 プロボクシング世界選手権白井義男-テリー・アレン戦中継
1954年  「力道山・木村政彦対シャープ兄弟プロレス実況」を放送。街頭テレビ プロレス旋風を起こす。
1969年 読売クラブ誕生
1971年 全国高校サッカー選手権大会を毎日新聞社に代わって主催し、独占中継権を得る。
1976年 全国高校サッカー選手権大会を東京開催へ変更
1979年 トヨタ杯開始
1987年 1月2日・3日 東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)中継放送開始
1987年 世界陸上ローマ大会独占放送
1991年 世界陸上東京大会独占放送 1995年イエテボリ大会まで
2000年 全日本プロレス中継終了
2005年 FIFAクラブワールドカップ開始
2006年 巨人戦視聴率初の10%割れ

東京ヴェルディの前身である読売サッカークラブは1969年に誕生した。
1969年というのはサッカー日本代表が銅メダルを獲ったメキシコ五輪の翌年であり、読売クラブは将来のプロ化を目指しての設立だった。
そして将来のプロに選手を供給することを目的に、日本テレビが全国高校サッカー選手権のテレビ中継を開始したのが1970年。
そして大阪長居競技場で開催されていた同選手権を東京国立競技場に持ってきたのが1976年であり、トヨタ杯の誕生が1979年。この先には当然W杯出場があったのだ。  
 

箱根駅伝は80余年の歴史のある大会だが、関東学連主催のローカル大会であり、学生駅伝にはほかにも日本学生陸上競技連合が主催する全日本大学駅伝と出雲駅伝がある。

本来全国大会である後者のほうが注目されてしかるべきなのだが、現実箱根駅伝の注目度にはかなわない。
これはマスメディア、特に日本テレビ、読売新聞が必要以上にその背景をドラマ化してしまい、大学駅伝をめざす高校生が地方の大学よりも関東の大学を目指すようになっているためだ。
結果、優秀な選手は関東の大学にしか集まらなくなるという弊害を起こしている。
また11月の全日本大学駅伝も箱根の前哨戦と位置づけられてしまっている。

さらには選手が箱根駅伝で燃え尽きてまい、男子マラソン、長距離ではなかなか世界で上位にくいこめる選手が出てこない状況をも作っている。

かつて、甲子園の高校野球は、良くも悪くも日本人の精神主義、集団志向の象徴だったが、現代の日本人の意識と合わなくなってきているのか、以前ほど社会現象、話題になることはない。
箱根駅伝が甲子園に代わっているのではないか、テレビの視聴率が如実にそれを物語っている。

●参考
2007年箱根駅伝総合優勝の広報効果の研究

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