さらば里谷多英コース
長野五輪から10年、記憶も薄くなり、施設もなくなりつつある。
女子モーグルでは、里谷多英が金メダルを獲った。
この舞台となったのは長野市飯綱高原スキー場。
モーグル会場となったコースは、金メダルの功績をたたえて「里谷多英コース」と名付けられた。
ところがこのコースも今季限りで閉鎖される。
飯綱高原スキー場の利用者は1995年がピーク。
年々利用者の減少が続き、昨季の利用者はピークの半分以下の65,600人。過去10年間の累積赤字は約11億円になった。
特に里谷多英コースはA級公認コースで利用が少ない。
コースは全長約250m、平均斜度27度という上級者向けだ。
ほかの上級者向け2コースも閉鎖し、利用客の大半を占める家族連れ向けスキー場へ生まれ変わるという。
里谷多英は波乱万丈の人生を生きている。
1994年リレハンメル五輪 17歳の高校生だった里谷はモーグルで11位に入り、日本女子スキー選手の最高順位を更新した。
後にJOC会長となる八木祐四郎SAJ専務理事(当時・故人)に「長野五輪の楽しみがまた一つ増えた。これからの四年間で世界との差は必ず縮められる」と言わせしめた才能だった。
長野五輪で金メダル、ソルトレークシティ五輪で銅メダル。
女子の冬季五輪の2大会連続メダルは、もう出ないかもしれない。
2005年 里谷は、六本木のクラブで従業員ともみあいになり、暴行容疑で警視庁麻布署から任意で事情聴取を受けた。
後に起訴猶予となるも、現役の金メダリストどころか、社会人としての自覚に欠けていた行為だったと言わざるをえない。
トリノ五輪では4回目の五輪で最も悪い15位。
2年間のブランクの末出場した、猪苗代町でのW杯では予選14位で敗退した。
飯綱高原スキー場の里谷多英コース近くに、森徹さんの記念碑がある。
森さんはノルディック複合で活躍した森敏さんの弟で、長野五輪出場の夢を病で絶たれ25歳で亡くなったモーグル選手だ。
記念碑が作られるときには、里谷も中心になった。
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