プロ選手の参加しないフィギュアスケート ~五輪のオープン化
日本人初の世界選手権優勝を目指した高橋大輔が4位に終わり、イエテボリでの世界フィギュアも閉幕した。
五輪は、この20年余りで急速にオープン化し、プロ選手が参加するようになった中、唯一プロ選手の参加しないのがフィギュアスケートだ。
ところが、一度だけプロ選手のアマチュア復帰を認めたことがある。
1994年のリレハンメル五輪。
1992年に国際スケート連盟(ISU)は、プロ選手にも一度に限り、アマチュア復帰を認める参加資格規定の変更を決めた。
「世界のトップが出場できる大会に、とのIOCの意向に沿ったもの」と説明された。
この試みによって、サラエボ、カルガリー両五輪女王のビット(独)、カルガリー五輪王者ボイタノ(米)、アルベールビル五輪を制したペトレンコ(ウクライナ)等プロで活躍している歴代の金メダリストが五輪の舞台に戻って来た。
この特例が認められたのは、「アメリカのテレビ局の意向」だ。
リレハンメル五輪のテレビ放映権料は3億3500万ドル、この内3億ドルを米CBS放送が負担した。
米国のスポーツ中継で、断トツのスーパーボールに次ぐ視聴率を稼ぐ競技がフィギュアスケート。
CBS放送は、視聴率のためにプロのオールスターを五輪に連れ戻したかったのだ。
ところが、プロ選手は総じて高齢(?)だったこともあるだろう。
現役のアマチュア選手の最新のスケート技術に適うことはなく、ビットが7位、ペトレンコ4位、ボイタノ6位、サラエボのアイスダンスで満点演技を披露したトービル&ディーン組が、なんとか銅メダルを確保した。(注:カタリーナ・ビット)
「重要なことは勝つことでなく、参加すること」「より速く、より高く、より強く」
五輪精神として広く知られているこの言葉通り、近代五輪の目指したものは「教育」だった。
1980年まで、五輪参加資格は「厳格にアマチュアに限る」とされていた。
「ミスター・アマチュア」と言われた、ブランデージ氏のIOC会長時代には札幌五輪でのシュランツ事件(注:カール・シュランツ)なども起きている。
が、ブランデージ氏が1972年に退任すると、次のIOC会長のキラニン氏が、1974年にそ五輪憲章の参加資格から「アマチュア」という文言を削除し、オープン化への道を開く。
そして1980年に就任したサマランチ前会長により、五輪は大きくオープン化に舵取りされていくのだ。
1984年 テニスの公開競技とサッカーの一部にプロ参加(注:ロサンゼルス五輪)
1986年 アイスホッケー、サッカー、馬術、陸上にプロ選手の参加が認められる。
1988年 正式競技に復帰したテニスで本格的にトッププロが参加。
1990年 五輪参加資格は、「各国際競技連盟(IF)と各国五輪委員会(NOC)が認めれば、アマ、プロ問わず参加できる」と五輪憲章が改正され、事実上の完全オープン化に踏み切った。
1992年 NBAのドリームチームの五輪参加、卓球・レスリングもプロ参加。
1996年 自転車競技にプロの競輪選手参加
1998年 長野五輪にNHLのトップ選手参加
2000年 野球プロ選手参加
●競技ごとの五輪へのプロの参加状況
陸上競技 登録にプロ、アマの区別はない。トップ選手は多額の賞金を受け取り、事実上のプロ
水泳 北島康介等スポンサーがつき、広告にも出演するプロ選手も多数。
サッカー 23歳以下(+オーバーエイジ)でオープン化
テニス 完全オープン化
バレーボール 欧州リーグのトッププロが多数参加(注:全日本にもプロ数人)
バスケットボール 完全オープン化
レスリング 参加できる(但しプロレス選手は皆無)
ヨット 元プロは出場可能
ハンドボール 欧州リーグのプロが多数参加
自転車 日欧ともプロが多数
卓球 欧州はプロが多数
馬術 欧州はプロが多数
バドミントン 欧州はプロが多数
野球 完全オープン化(但しMLBは出場していない)
*オープン化とプロ化は同義ではない。
オープン化された五輪だから、アマチュアでも優れた選手は五輪に出場している。
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Comments
ブランデージは陸上選手だった現役時代にジム・ソープのマイナーリーグでのプレーをIOCに”ご注進”して彼の金メダルの剥奪に多大な貢献をしたとも言われてます。
その結果ブランデージの順位は1つ繰り上がり5位に入賞しました。
(ソープの復権はブランデージの会長在任中は認められずソープの死後30年経った1983年にサマランチ会長の時にやっと実現しました)
ちなみにブランデージは労働者階級の家庭に生まれ新聞配達と両立しながら陸上の練習に励んでました。
その後建設業で成功して富と社会的地位を得ましたが、英国の貴族階級が労働者階級を排除する為に都合良く作り出した差別思想であるアマチュアリズムの藩屏となったのは皮肉な話です。
かつては冬季五輪の廃止(特にアルペンを敵視)まで主張したブランデージは現在の五輪の変容を草葉の陰でどのように見つめているのだろうか・・・
Posted by: 中東の太鼓 | March 23, 2008 08:14 PM
1950年、AP通信が行った「20世紀前半の最高の男子選手は」という世論調査でジム・ソープは1位だったそうです スウェーデン国王からも「世界最高の選手」との賛辞をもらったとあります。
マイナーリーグのプレーもインディアンが通っていた学校の指示で、夏休みに野球チームに参加し、給料の大部分は学校に入ったと、ソープの息子が証言しています。
ブランデージの政治的思惑も伺える出来事です。
Posted by: 管理人 | March 23, 2008 08:44 PM
フィギュアのプロ参加って、1回限りだったのですね。
てっきり、ずうっと続いているのかと思ってました。
Posted by: sawasawa | March 24, 2008 12:32 PM
それがですね、私にもはっきりわからないところがあって(笑)、1回に限りアマ復帰できるは確かなのですが、「リレハンメルに限って適用される」とは明確に書いていないようです。
伊藤みどりは、その気になれば長野五輪に出れたはずです。
アマの方が間違いなくレベルが高いから、プロ選手がわざわざ参加していないのでは?
Posted by: 管理人 | March 24, 2008 12:55 PM